11月25日 「キリストによる癒し」 詩篇23
1-6節
富士見丘教会協力神学生 東京神学大学 佐野 純
詩篇
23 1-6節1
主は羊飼い,わたしには何も欠けることがない。憩の水のほとりに伴い主はわたしを青草の原に休ませ
魂を行き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
4
死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。 あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭,あなたの杖 それがわたしを力づける。
5
わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
命ある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り 生涯
,そこにとどまるであろう。
ペテロの手紙T
2章18-25節 「召し使いたちへの勧め」18
召し使いたち,心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大に主人にだけでなく,無慈悲な主人にもそうしなさい。19
不当な苦しみを受けることになっても,神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えてるなら,それは御心に適うことなのです。20
罪を犯して打ちたたかれ,それを耐え忍んでも,何の誉れになるでしょう。しかし,善行を行って苦しみを受け,それを耐え忍ぶなら,これこそ神の御心に適うことです。21
あなたがたが召されたのはこのためです。というのは,キリストもあなたがたのために苦しみを受け,その足跡に続くようにと,模範を残されたからです。22
「この方は,罪を犯したことがなく,その口には偽りがなかった。」23
ののしられてもののしり返さず,苦しめられても人を脅かさず,正しくお裁きになる方にお任せになりました。24
そして,十字架にかかって,自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが,罪に対して死んで,議によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって,あなたがたはいやされました。25
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが,今は,魂の牧者であり,監督者である方のところへ戻って来たのです。今の時代に生きる人々は
,さまざまな悩みを持っていて魂のいやしを求めている。詩篇
23は,聖書の中でもいやしを与える重要な詩である。この詩の作者は,実は苦しみの中にあり乍ら「わたしには欠けることがない」と,言いきっている。主がわたしの羊飼いであるから,主は,わたしの食卓を用意して,私の頭に香油を注いで下さる。(23・5)しかもその羊飼い主イエスが,わたしたち一人一人のために,命をすてて下さった。教会は古今を通じて,この詩篇によって,なぐさめられて来た。ペテロの手紙Tには
,召使への教えが記されている。何故なら召使には,不当な苦しみが多い。それは,イエスの苦しみが分るためである。(2・21)イエス・キリストには,経験しなかった苦しみはない。その主イエスが私罪の問題を解決して下さる。実は,主の,罪のゆるしこそがいやしの中心であり、その奥には主の十字架の死がある。私どもが十字架のみ前にもどる時,それは礼拝の時である。礼拝にはいやしがあり
,又,そこには,主イエス・キリストの愛があふれている。 に戻る み言葉に聞くに戻る