11月11日  「イエスの給食」   マルコによる福音書 6章30-44節

「五千人に食べ物を与える」

30さて,使徒たちはイエスのところに集まって来て,自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。

31イエスは、「さあ,あなたがただけで人里離れた所へ行って,しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて,食事をする暇もなかったからである。

32そこで,一同は船に乗って,自分たちだけで人里離れた所ヘ行った。

33ところが,多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て,それと気づき,すべての町からそこへ一斉に駆けつけ,彼らより先に着いた。

34イエスは船から上がり,大勢の群集を見て,飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ,いろいろと教え始められた。

35そのうち,時もだいぶたっていたので,弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で,時間もだいぶたちました。

36人々を解散させてください。そうすれば,自分で周りの里や村へ,何か食べる物を買いに行くでしょう。」

37これに対してイエスは,「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは,「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て,みなに食べさせるのですか」と言った。

38イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が2匹です。」

39そこで,イエスは弟子たちに,皆を組に分けて,青草の上に座らせるようにお命じになった。

40人々は,百人,五十人ずつまとまって腰を下ろした。

41イエスは五つのパンと2匹の魚を取り,天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて,弟子たちに渡しては配らせ,二匹の魚も皆に分配された。

42すべての人が食べて満腹した。

43そして,パンの屑と魚の残りを集めると,十二の籠にいっぱいになった。

44パンを食べた人は男が五千人であった。



五千人に食事を与えるこの記事は四ツの福音書に記録されている。この出来事を主イエスの時代の人々は出エジプトの出来事として思い出したことであろう。 天からマナが与えられたことを。
 人は必要以上の物を求め、心身をすり減らし、あくせくし、かけがえのない人生を心貧しく生きているのではないだろうか。隣人の生活を心に留めず、自分の生活を豊かにとのどん欲な罪は豊かな人と貧しい人の格差を大きくしている。 
主イエスはこの食事の奇跡をとおして私達の衣食住の本当のあり方を教えておられる。
神に信頼することと主体的に生きることが一致していることがキリスト教の信仰です。
弟子達は五千人に食事を与えることは不可能とあきらめているが 
34節の主の哀れみは主の深い愛を現している。
食事の奇跡は愛の奇跡であり、最後の晩餐や聖餐を連想させる出来事であり、私達を罪から解放し新しい命を生きるための十字架の印です。 
朽ちない食物のため、愛の業のために祈り、求め働く、主イエス・キリストに従う生活をしたいものです。



BGMはBachのカンタータ80番「神はわが堅きとりで」 です。

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