11月10日 「新しい自分になるために」 ヨハネによる福音書
8章1-11節東方敬信牧師
「姦通の女」
1
イエスはオリーブ山へ行かれた。2
朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。3
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、4
イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。5
こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」6
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。7
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」8
そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。9
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。10
イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか。」11
女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
人生に自分が生きているという感覚を失って観客になっている世界が身の回り
にある。ヨハネ福音書にはこのことを、しっかりと指摘している。
イエス・キリストは、一人の女性を救おうとしておられることが示される。
律法学者達は、イエス・キリストを落とし入れることが主で、女性のことは問
題としていない。7節の言葉は、私達にとっても、つらい言葉である。
この言葉で主イエスの真理だけが光を放っていることを知らなければならない。
この言葉を感謝しなければならない。 この女性に、イエスは生命の通った言
葉を語りかけ、生命を快復させられた。
「わたしもあなたを罪に定めない」のみ言葉は、人の罪を裁く権威と同時に罪を許す権威を持っておられる主イエスの許しの愛です。
自分を甘やかして生きている日常に、イエスによる本当の救い、解放、許しを、十字架の愛を確信し、主イエスの愛に、許され、生かされていることを信じ、与えられた神の賜物をもって生きていくことが、救いへと導かれるのです。
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