5月26日  「真の隣り人として生きよ」  マルコによる福音書135-45
   

「巡回して宣教する」

35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。

36 シモンとその仲間はイエスの後を追い、

37 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。

38 イエスは言われた。「近くの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」

そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

「らい病を患っている人をいやす」

40 さて、らい病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずき手願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。

41 イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「そろしい。清くなれ。」と言われると、

42 たちまちらい病は去り、その人は清くなった。

43 イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、

44 言われた。「だれにも.何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モ-セが定めた者を清めのために献げて、人々に証明しなさい。」

45 しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

       

イエス・キリストは神の子でありながら常に、天の父への深い祈りによってみ心を求められて、新しい伝道へと進まれた。

しかし弟子たちは、祈られる主をさがして、「はやく はやく、皆が待っています」とせき立てた。これは本末転倒であってキリスト者は、まず祈りから始めて、神と共に歩むべきである。

重い皮膚病(当時の律法では、けがれた病)を患った人が、主イエスの前に出て、「みこころならば…・・」と、ひざまずいてお願いした。主イエスは、「我が心なり清くなれ」(文語訳聖書)と、深い愛のことばをもって応じられた。奇跡は、真の祈りの中で、確信する者に与えられるまぎれもない神の恵みである。

どのような苦しみの中でも、ひたすら祈る時、真の隣人、神をみ出だして恵みによって新しい道へと歩み出せるのである。

神と共に歩める、真の隣人としていただいたよろこびと、感謝をもって、新い日々を歩ませていただきたい。

                                                                                                        



BGMはBachの作品582「Passacaglia und Fuge」 からです。

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