5月19日  「聖霊につつまれて」  マルコによる福音書121-34


「汚れた霊に取りつかれた男をいやす」

21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。

22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。

24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。われわれを滅ぼしに来たのか。正体は分っている。神の聖者だ。」

25 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、

26 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。

27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどうゆうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」

イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々まで広まった。

「多くの病人をいやす」

29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。

30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。

31 イエスがそばに行き、手を取って起されると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。

32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を見な、イエスのもとに連れて来た。

33 町中の人が、戸口に集まった。

34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

主イエスは天の父と聖霊の力を持つ権威をもって伝道を始められた。身をもって御言葉に歩む姿に人々は非常ニ驚いた。その礼拝に於いて悪霊をも神の聖者の力を主イエスに見た。礼拝において主イエスと出合う私達は罪赦された者、神の宝として歩む共同体にあることを新たに知るのである。悪例のようにかまわないでくれと言うが如き信仰を持つ私達でもそれらを失わせ、勝利をもぎ取って下さる。主イエスが悪霊を追い出されたように私達ひとりひとりに真正面から係わって下さる。愛と赦しをもつ主がおられるのは教会だけである。

会堂で語られた後、主イエスはすぐ病の人の手を取りに行かれた。主が手を差しのべられた方は必ず癒される。私達はこの主をもち、主は係わろうと手を差しのべていてくださる。ただ、感謝と恵み以外にない。

弟子たちが心燃えたと同じ主イエスのあのすごい力は、既に私達を包んでいることを確信してまいりたい。                                                                                                    


 



BGMはBachの管弦楽組曲第2番作品1067番「Badinerie」より。

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