5月18日  『キリストの御名をみつめて』  マルコ福音書 九章三八〜四一

      「逆らわない者は味方」

38 ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」

39 イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。

40 わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。

41 はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」

今朝の聖書の箇所で、主イエス・キリストはヨハネとの問答を通して私達の持つべき基準をお示しになり、これまでの判断や考えに新しい息吹を吹き込まれた。

 ヨハネは若く、熱心な弟子であった。当時、偽預言者と言われる者など、多くの民を神からはなそうとする者がいた。ヨハネはこのような主の名を使う者を許すことができなかった。これは正しい姿である。

 しかし、主イエスは「やめさせてはならない」といわれる。主イエスの御名にふさわしく用いなければならないと言われる。その基準は神に栄光を帰すことで、この一点を輝かせることがキリストの御名を持って歩む者の姿です。

 私達の考え、思いではなく、主のみ名が見いだせるかどうかが基準です。

 私達はみことばに歩んでいるか、キリストのみ名を証しているか、礼拝の場において私達に求められているのはそのことです。神の名を全身であらわしているかが問われています。神に栄光を帰すために礼拝に集い、賛美することが私達の目標となっているか、そのためにだけ私達は伝道するのです。

 主イエスの御名を見いだすときに、誰もが神の子であること、愛されていることを心に刻むのです。 キリストの御名を確信し、神によって証人とかえられ、用いられることにより、恵の姿が約束されます。 

キリストのみ名に歩み、神の子として力強く伝道の旅に歩み出しましょう。

 

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