5月11  「イエスさまと一つになって」 全体礼拝説教

教会学校生徒、父母とともに礼拝      

エフェソの信徒への手紙211-22

  「キリストにおいて一つとなる」

11 だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。

12 また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。

13 しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近いものとなったのです。

14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 

15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、

16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

17 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。

18 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

19 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、

20 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、

21 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。

22 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

礼拝に集う私たちはみんなそれぞれに違っていて世界に一つしかない存在です。世界にいるたくさんの人の中から神様に招かれてこの場に集まっています。このことを考えると、礼拝は奇跡の場かもしれません。

今朝の聖書に出てくるエフェソの教会にも多くの人々が集まっていました。しかしそこではユダヤ人と、それ以外の人の二つに分かれていました。ユダヤ人は特別だったのです。神様はいちばん弱かったユダヤ人を助けるために守ってきたのに、いつの間にか自分たちだけが神様に愛されていると思うようになってしまいました。こうして人間同士で壁を築き、心が通い合わなくなってしまったのです。イエスはこの壁を取り除きました。イエスを信じる人はみな一つであり、すべての人がイエスにとってなくてはならないものだと教えたのです。それぞれが世界に一つしかない命で、大切だからこそ、イエスはご自分の命を投げ出して十字架にかかってくださったのです。十字架を見て神様に愛されていることを思い出してください。そしてイエス様と一つになってください。それには、イエス様だったらどうするだろうか、どう思うだろうか、ということをいつも考えてください。神様を信じる人にはいつも平和があります。イエス様と一つになって生きることが人間としての源です。

 

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