3月4日 「思い悩むな」 マタイによる福音書6章25節-34節
「だから,言っておく。自分の命の事で何を食べようか何を飲もうかと、
また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。
命は食べ物よりも大切であり,体は衣服よりも大切ではないか。
空の鳥をよく見なさい。種も播かず,刈り入れもせず,倉に納めもしない。
だが,あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは,鳥よりも
価値あるものではないか。
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって,
寿命をわずかでも延ばすことができようか。
何故,衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか,注意して見なさい。
働きもせず,紡ぎもしない。しかし,言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ,この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて,明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、
神はこのように装ってくださる。まして,あなたがたにはなおさらのことではないか、
信仰の薄いものたちよ。だから,「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」
と言って,思い悩むな。それはみな異邦人が切に求めているものだ。
あなたがたの天の父は,これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
なによりもまず,神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば,これらのものはみな加えて与えられる。
だから,明日のことまで思い悩むな。明日の事は明日自らが思い悩む。
その日の苦労は,その日だけで十分である。」
「何よりもまず,神の国と神の義を求めよ」イエス・キリストに招かれて
神の御心の評価の中で生きようとしている魂,
神の希望に結びつけて生きようとしている魂、
それはとてつもない美しさを持っている。それが信仰だと。
その信仰を,あなた方は薄くしてはならない。
私達の心がとらわれやすい復讐心,人との比較,逆に言えば、
今の私を受入れ難い病がそこにある。
しかしその様な状況の中からイエスを仰ぎ見る時に、
イザヤ書53章4節「彼が担ったのは私達の病,
彼が負ったのは私達の痛みであった」
つまりイエスは,私達の思い悩みを受け止め、
それを十字架について解決してくださった。
そのことを知る時に,私達は「今日一日の苦労は,今日一日で十分だ」
そのように担うことができていくのである。