3月3日 「捧げる心」 マルコによる福音書12章41-44節
「やもめの献金」
41 イエスは賽銭箱の向かいに座って,群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
42 ところが,一人の貧しいやもめが来て,レプトン銅貨二枚,すなわち一クアドランスを入れた。
43 イエスは,弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは,賽銭箱に入れている人の中で,だれよりもたくさん入れた。
44 皆は有り余る中から入れたが,この人は,乏しい中から自分の持っている物をすべて,生活費を全部入れたからである。
富士見丘教会も、神様の恵みにより、この春新しい伝道者を迎え、また会堂改築を行なおうとしている。この機会に献金などを捧げる心について、聖書の言葉を紐解いておきたい。
献金には二つの意味がいるといわれる。第一に心から感謝して捧げる感謝と献身のしるしとしての意味。そして第二に打算・計算といった執着心を捨て、心の中を清めていただくという意味である。
本日の聖書の箇所で、寡婦は少ないながらも全財産を献金した。このことは自分の存在を全て神様に委ね、信仰によって生きる決意を表わした行為であり、神様への愛の姿である。私達も神様を愛し、自分を神様に委ねる決断が必要であり、教会を中心とした信仰生活の中で豊かで伸びやかに生きるべきである。
よく語られる聖書の言葉に、「神と富とに兼ね仕えることはできない。」というものがある。私達も子孫に富ではなく、如何に生きたかという人を遺すべきである。人に与えられた富・才能は様々であるが、それらを本当に神様のために用い、たとえ明日この世が終わるとしても、自分に与えられた生活を精一杯ることが豊かで麗しい生き方の秘訣である。
BGMはBachのカンタータ4番「キリストは死の絆につき給えり」 です。