3月23日  「主の背を見て生きる」 マルコによる福音書831節―91

「イエス、死と復活を予告する」

31 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。

32 しかも、そのことをはっきりとお話になった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。

33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」

34 それから、群集を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」

35 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、又福音のために命を失う者は、それを救うのである。

36 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。

37 自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

38 上にそむいたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。

9

1 又、イエスは言われた。「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」

礼拝で讃美歌を共に歌うのは神への賛美とともに「私は神に従います」という告白である。今朝の聖書の箇所は、まさしくその誠の賛美、即ち主に従うゆえに自然と沸き起こる誠の喜びを主イエスが身をもって教えている。

主イエスは弟子たちにご自分の十字架と苦難、そして復活の出来事についてはっきりとお話になった。主イエスが強いメシアだと考えていた弟子達には大きな衝撃であった。ペトロが、イエスを諌めようとし、

イエスから「サタンよ引き下がれ」と厳しく叱られた。そして「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と言われた。

私達は主による決断を迫る言葉を受けた時、ペトロのように主のみ言葉に聞き従わず、自分の理解をみ言葉に当てはめ、信仰が弱い者ですと言って主に従うことから逃れようとし或は、自分の人生は自由に自分で決めようとしてはいないか?しかし、自分で決める自由は、結局は欲望を絶えず追い求めるという不自由な姿に陥る。このような姿を主は憐れみ、サタンよ引き下がれとおっしゃり、わたしの後ろに回りなさいとおっしゃるのだ。即ち、主の後ろ、主の背を見て生きよと言われる。主に従うときに本当の自由を主によって得る。

私たちが主に求められている決断は一つ、主の後ろに回るということだ。主の背を見て生きる新たな決断を持ってそれぞれの使命の道を歩みたい。

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