3月2日 「裏切りから見えるもの」 マルコによる福音書
14章10-21節 東方敬信牧師
「ユダ、裏切りを企てる」
10
十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。11
かれらはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折りよくイエスを引き渡せるかとねらっていた。「過越しの食事をする」
12
除酵際の第一日、すなわち過越しの子羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越しの食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。13
そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。14
その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越しの食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』15
すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこに私たちのために準備をしておきなさい。」16
弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越しの食事を準備した。17
夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。18
一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」19
弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。20
イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。21
人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」「裏切り」は、私達の社会の根底にある信頼を破壊するもので、私達人間の罪の中で最も恐ろしいものである。更に恐るべきことに、ユダは全ての信頼の土台である神の愛を裏切り、奴隷一人の値段で主イエスを売り渡した。しかし、主イエスはユダの陰謀を見抜き、放蕩息子の譬え話の父親のような忍耐強い愛をもって、最後の晩餐の席で他の弟子にわからないように警告を発した。それにもかかわらず、ユダは頑なに主イエスの愛を拒みつづけたのである。
一方、主イエスに「私を裏切ろうとしている者がこの席にいる」と言われた他の弟子達は、自分の保身のため「まさか私ではないでしょう」と言い訳をしている。この言い訳は、誰にでも心の中にある小さな裏切りの芽を糊塗しようとするものである。また、筆頭弟子のペテロでさえ、主イエスを三度知らないと言い、主イエスを裏切ってしまうように、人間は裏切りの罠の中に容易に落ちてしまう。
ただ、ペテロがユダと決定的に違ったのは、取り返しのつかない過ちを犯した後に主イエスの前に涙を流し、全てを主イエスに委ね、赦されたことである。これに対し、ユダは自ら解決を図り死に至る。
私達も、様々な生活の傷を主イエスに委ね、癒していただき、悔い改めと共に力強く立ち上がってゆくことができる。私達は、神様の手によって備えられた新しい未来に向け、立ち上がってゆくよう促されているのである。
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