3月16日  「希望の航海」 マルコによる福音書645-53

          林 完赫神学生 富士見丘教会での最後の説教

          

「湖の上を歩く」

45 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。

46 群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。

47 夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。

48 ところが逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。

49 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。

50 皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。

51 イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。

52 パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。

イエスは五千人を養った出来事の後、弟子たちを先にベトサイダへ行かせ、ご自分は群衆を解散させて祈るために山へ向かった。イエスは人々が誤ったメシア観から自分を王にしようとするのを見て退かれたのである。そして苦難を受ける神の子として、あらゆる誘惑と試練を乗り越えるためにひとりで祈った。このように、神の国の宣教と言う大きな目的のための原動力が祈りを通した神との交わりにあったことを改めて思わされる。

先に行った弟子達が、真っ暗な湖上で逆風に漕ぎ悩み、しかもイエスがそばにいないという状況は、イエスが昇天したあと地上に残された教会の姿のようである。イエスの指示に従った弟子達の出会った苦難は、私たちの信仰生活が嵐のような苦難に出会うことがあるということを示している。しかし、イエスは山のうえからそれを見ていて救いに来てくださった。これは大きな慰めと励ましである。ガリラヤの湖を航海する夜の時間は、イエスなしで終末に向かう受難の時間、そして険しい世の中で福音をのべ伝えていく教会の象徴である。どんな苦難にあっても主が見ている限り、救われ、目的地まで導かれる。どんなに大変でも主イエスの救いを信じている限り、それは希望の航海となるのである。時には神がいないかのように感じることがあるかもしれないが、何時も主は祈ってくださり、語りかけてくださるのである。

 

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