200526

特別伝道礼拝  「光の子として歩みなさい」要旨

エフェソの信徒への手紙38節  木村利人先生

 

私は16歳の時に先輩に導かれて富士見町教会で洗礼を受けましたが、その時、先輩から頂いた聖書の裏側に大変感動的な言葉が書かれていました。「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。」ヨハネの黙示録211節にある言葉なのですが、今までの人生を振り返り見て、私は本当にその都度、神様によって新しい天と新しい地とを示され、その中を歩んで来たと言う実感を今持っています。

 

早稲田大学で法律を学びながら教会で、或いは早稲田奉仕園を通してキリスト教学生運動に参加し、各地の若いキリスト者との交わりを持ち博士課程を終える頃に、世界キリスト教連盟が仏教国タイの国立チュラロンコン大学でキリスト教学生運動(SMC)の指導者を募集しているので応募しないかとの誘いがあり、選ばれてタイで5年間生活しました。私の専門は東南アジア比較家族法でしたので、この分野の研究を現場で続けながらキリスト教学生運動の指導に当たると言う恵みを受けたのです。ここで文化の違いを超えて共にキリストを仰ぎ見て祈る体験を致しました。

 

タイに行ったことが契機になり、ベトナムのサイゴン大学で比較法律学の研究をすることになりましたが、この地で現在の私をバイオエシックス、生命倫理の専門家たらしめた最大の出来事がありました。1970年代のサイゴンは今のバグダッドを想像していただければ良いのですが、ベトナム戦争の只中にあり、家族を連れて行きましたが毎日がストレスの連続でした。

 

ある日私の学生がたった一人で私の家を訪ねて来ました。「先生、ベトナム戦争をどう思いますか?」「先生、今何を主に食べておられますか?」色々な話をしてくれましたが、大変ショッキングなことばかりでした。「アメリカは表向きベトナムを助けていると言いながら、実態は、ベトナム人の次の次の世代まで視野に入れた民族皆殺し作戦を行っている。」「いわゆる枯葉作戦による枯葉剤にはダイオキシンが入っており、河や海に流れてプランクトンに堆積され、それを食べる魚から人間に大量に摂取されて重症の奇形児の赤ちゃんや流産が多発している。ダイオキシンのような生物化学兵器は人間の遺伝子を直撃し、次の世代、或いは次の次の世代まで影響を与える。先生は、2030年後のベトナムがどうなっているのか見えないでしょう。」と生物化学兵器の悪用誤用の問題を指摘されたのです。3年前に30年ぶりにベトナムに行きましたが、今でも10万人の障害を持つ赤ちゃんが生まれ続けているのです。30年前、私が会ったベトナムの学生は本当に生物化学兵器の恐ろしさという未来を展望していたことを知らされました。

 

サイゴンでの仕事が一段落した時、スイスのジュネーブに本部がある世界教会協議会(WCC)の教育センターでアジアの言葉を2,3話せ、キリスト教学生運動の経験を持った社会科学者を探しているというので応募しました。

 

ジュネーブには3年いました。大変驚いたことにWCCはローマのバチカンと共同して「科学技術の進歩と人間の尊厳」についてのプロジェクトをやっておりました。私は、サイゴンでのそうしたショックの中からジュネーブという「新しい天と新しい地」の中で、今まではアジアのスケールでしたが、世界の教会のレベルでこの問題に取り組んでいる只中に入っていったわけです。私が1973年、最初に出席した会議「遺伝子と生命の質について」では、人間の科学技術がどんどん進んでいく、例えば、生殖補助医療技術(人工授精、体外受精、クローン人間など)の問題をどう考えたらよいかの議論を今から30年以上前に既に始めておりました。WCCでも「教会と社会」部会が主宰した会議でキリスト教の立場からの討議を進めました。

 

クローン人間、生殖医療問題、臓器移植、脳死、安楽死或いは患者の権利とか命の初めや命の質や命の終わりの問題については,WCCは極めて初期の段階から、そういう技術が使われる前の段階から倫理的な問題について様々な討議をしてきたわけです。これらの分野、即ちバイオエシックスの分野はキリスト教の神学の背景があって出てきた分野なのです。その理由は、ヨーロッパでは人の出生から死亡まで教会に記録され、教会はコミュニテイのお互いの交わりの中心に位置しており、コミュニテイの生と死に関心を持って神学的な議論を作り上げてきたからです。

 

ジュネーブからアメリカに渡り、バイオエシックスの学問分野が形成されつつある時期、アメリカの研究者と共に日本やアジアの文化、ヨーロッパやアメリカの文化の中で命の問題をどう考えたらいいかということを研究し推進してきました。

 

アメリカで22年間生活しましたが、アメリカに住んでいて一番私が命の問題で感銘を受けたのは何と言っても教会の活動でした。アメリカの教会はコミュニテイの中で中心的な役割を果たしています。ホスピスというのは、在宅ケアを中心としながら自宅で安らかに充実した命を終えるためのケアのシステムのことですが、教会員がボランテア活動などで積極的に関わっています。HIV患者をどうサポートするのかについて祈り交わりの時を持ちます。その他、平和の問題や移民問題、海外宣教の問題や同性愛問題など、教会が聖書の教えを学ぶと同時に社会的にコミュニテイの中で出来ることを交わりの中でやって行こうということに大変深く感銘を受けました。これはやはり教会がキリスト者として生きていくことの言わば証しを態度に示して行こうと云うことだと思います。

 

私が作詞した「幸せなら手を叩こう」の中に態度で示そうよという言葉が入っていますが、これは学生時代フィリッピンで労働奉仕をした時、受け入れてくれたフィリッピン人達が第2次世界大戦で大きな被害を受けた日本人への憎しみ、殺したいと思った気持ちを神に祈ることにより心から悔改め、それを本当に態度に示して親切にしてくれて歓待してくれたこと、それを歌の中に取り入れたものです。

 

今日の聖書の箇所「あなたがたは、以前には暗闇でしたが今は主に結ばれて光となっています。光の子として歩みなさい。」、この箇所をいのちのことば社出版の聖書訳では、「あなたがたの心は以前は暗闇に覆われていましたが、今は主からの光にあふれています。そのことを態度で示しなさい。」となっています。

 

バイオエシックスは命の問題を、医学や宗教や哲学や倫理やキリスト教や、そういうものを全部統合しながら学問の領域を超えて、新しい時代の中で責任を持って考えて行こうという分野です。神様から与えられた命、その意味では神様にお任せしているのですが、しかし、神様の前に立って私達は自ら決めて生きていく喜びと使命を持っていることも聖書は示していると思います。私達はその意味で光の子として私たちがキリストの愛と平和を態度に示して生きる者となりたいと思います。

終わり