617日  「新しい価値観」     マタイによる福音書

                    201-16

1「天国は次のようにたとえられる。ある家の主人が,ぶどう園で働く労働者を雇うために,夜明けに出かけて行った。

2主人は,一日につき一デナリオンの約束で,労働者をぶどう園に送った。

3また,九時ごろ行ってみると,何もしないで広場に立っている人がいたので、

4『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。

5それで,その人たちは出かけて行った。主人は,十二時ごろと三時ごろにまた出かけて行き,同じようにした。

6五時ごろにも行ってみると,他の人々が立っていたので,『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、

7彼らは,『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに,『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。

8夕方になって,ぶどう園の主人は監督に,『労働者たちを呼んで,最後に来た者から始めて,最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。

9そこで,五時ごろに雇われた人たちが来て,一デナリオンずつ受け取った。

10最初に雇われた人たちが来て,もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし,彼らも一デナリオンずつであった。

11それで,受け取ると,主人に不平を言った。

12『最後に来たこの連中は,一時間しか働きませんでした。まる一日,暑い中を辛抱して働いたわたしたちと,この連中とを同じ扱いにするとは。』

13主人はその一人に答えた。『友よ,あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。

14自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも,あなたと同じように支払ってやりたいのだ。

15自分のものを自分のしたいようにしては,いけないか。それとも,わたしの気前のよさをねたむのか。』

16このように,後にいる者が先になり,先にいる者が後になる。」

夜明けに出かけて行ったぶどう園に働く労働者を雇う主人は,地上の世界へ出撃する神を現す大切なメッセージである。神は全てに先立ってイエスキリストを遣わして私達に愛を示された。愛してくださる神に目覚めることから私達の人生はスタートする。「神の愛を受けた自分として生きる」,聖書に価値観である。

殺害の息を弾ませたパウロやあの人のことは知らないと三度言ったぺテロ等は,主イエスによって傷を癒された。私達も神に赦され人間らしさを与えられて地上の歩みを行く。

朝から働こうが夕方からであろうが違いを超えて労働者に与えられた一デナリオンは,十字架の血潮なのである。神の愛に評価はなく私達の人生はそのまま神の愛の目標なのである。神に愛された自分を生きよう。



Bachのフーガ10番 作品855

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