6月16日  「御言葉の力を刻む」 マルコによる福音書21-12

  

「中風の人をいやす」

1 数日後,イエスが再びカファルナウムに来られると,家におられることが知れ渡り,

2 大勢の人が集まったので,戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると,

3 四人の男が中風の人を運んできた。

4 しかし,群衆に阻まれて,イエスのもとに連れて行くことができなかったので,イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ,病人の寝ている床をつり降ろした。

5 イエスはその人たちの信仰を見て,中風の人に,「子よ,あなたの罪は赦される」と言われた。

6 ところが,そこに律法学者が数人座っていて,心の中であれこれと考えた。

7 「この人は,なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに,いったいだれが,罪を赦すことができるだろうか。」

8 イエスは,彼らが心の中で考えていることを,御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ,そんな考えを心に抱くのか。

9 中風の人に,『あなたの罪は赦される』と言うのと,『起きて,床を担いで歩け』と言うのと,どちらが易しいか。

10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして,中風の人に言われた。

11 「わたしはあなたに言う。起き上がり,床を担いで家に帰りなさい。」

12 その人は起き上がり,すぐ床を担いで,皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き,「このようなことは,今まで見たことがない」と言って,神を賛美した。

       

マルコ2章の中の,この出来事---,四人の男性の行為,その様な事が,私に出来るだろうか。教会に集う私達は、主による真の力につつまれているだろうか。

この四人の男性は,主イエスによって,中風の友人が必ずいやしていただけると信じ屋根をはがして,病人を主のもとへと,つりおろした。多くの人々が、主イエスのみ言葉を聞いている時,その場でいやしが行われた。

みことばが生きているこの家,これこそが、真の教会である。(みことばがなければ、決して教会の歩みはない)

私共もみことばを受ける時、この病人のように、自分のいたみをすべて神のみ前に差し出す姿勢をもっているだろうか。

この中風の人は、「子よ、あなたの罪はゆるされる。」唯、この一言によって癒された。律法学者たちは、ここでつぶやき始める。信じようとしないこの様な姿に、私どももおちいっていないか。

「あなたの罪はゆるされる。」これ以上のことばはない。このみことばを、しっかりと心にきざむ時、新たな力を得て、すべてが輝きに変わってゆく。

                                                                                                        



BGMはBachのカンタータ78番「イエスよ,わが魂よ」 です。

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