6月8日  「人のあり方」  詩篇81-10

東方敬信牧師

1  指揮者によって。ギデイトに合わせて。賛歌。ダビデの詩。

2    主よ、わたしたちの主よ

    あなたの御名は、いかに力強く

    全地に満ちていることでしょう。

 天に輝くあなたの威光をたたえます

3  幼子、乳飲み子の口によって。

 あなたは刃向かう者に向かって砦を築き

 報復する敵を絶ち滅ぼされます。

4 あなたの天を、あなたの指の業を

    わたしは仰ぎます。

 月も、星も、あなたが配置なさったもの。

5 そのあなたが御心に留めてくださるとは

    人間は何ものなのでしょう。

 人の子は何ものなのでしょう

    あなたが顧みてくださるとは。

6 神に僅かに劣るものとして人を造り

 なお、栄光と威光を冠としていただかせ

7 御手によって造られたものをすべて治めるように

    その足もとに置かれました。

8 羊も牛も、野の獣も

9 空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。

10    主よ、わたしたちの主よ

   あなたの御名は、いかに力強く

   全地に満ちていることでしょう。

人はいろいろなものに縛られて生きている。お金、名声、幸福などだが、どれも大したものではない。本当の生き方を捜し求めるのだが、その正体は何か?この問いに聖書は確実に答えを出している。

今日の箇所の詩人はバビロニアで奴隷の生活を強いられていた。一日の労働で疲れ果てた夜に、まず空を見上げることから歌を始めている。神は虚無をうち滅ぼし、愛をもっていきよと語りかけている。それを見つめながら、自然を讃美しているのである。このように神の愛を感じつつ、一方で、神に目を留めてもらえる人間は何者なのか、と詩人は考えている。

人間は弱き者で最後には虫の息のように命を終えるものなのである。どんなに科学技術が進んでいてもそれは変わらない。そして信仰に生きるということは、炭坑で異変を知らせるカナリヤのように、時代が危険になったときに最初にそれを知らせ、また、回復をはかることだ。弱き者ではあるが、神の息を受けているのが信仰者である。今日は教会の誕生日と言われるが、神の霊=息を受けるときである。わたしたちは人と比べるのではなく、神を見上げ、神に与えられたものを精一杯用いて生きることを求められている。神の同労者として、大胆に創意工夫して、タラントを用い尽くしたときに良き僕とされる。

 

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