6月29日 「神の招きに動かされ」 マルコによる福音書
10章17-31節
「金持ちの男」
17
イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいのでしょうか。」18
イエスは言われた。「なぜ,わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。19
『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』と言う掟をあなたは知っているはずだ。」20
すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。21
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」22
その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。23
イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」24
弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。25
金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」26
弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。27
イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」28
ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。29
イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、30
今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。31
しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
私達は当たり前とうけとっていることが、実は感謝なことであったとみいだすことがあり、心がふるえる思いに満たされることがある。 今朝の箇所で豊かな富を持った人に「永遠の生命を受け継ぐには」と尋ねられたイエスの教えが示されている。
この問いかけは、イエスの十字架への旅立ちの前である。何をすればとの問いには誤解が生じている。主イエスはこの誤解をみいだし正しい答えをされ、質問の源をみなおすことをしめされる。
生命のみ言葉を受け入れそこに立つ、永遠の生命は神から与えられる賜です。 質問のこの人は、イエスからの教えをヒントにして自分で永遠の生命を作り出そうとしている。
自分に根拠を持ち歩むことは神の前で誇ることの出来ない姿です。信仰に立つことは、わたしは罪人であり、神によって立てられていることを確信することです。主の問いかけに私達は答えることができるか。すべてをすてて、主に従うことができるか。この問いかけには主の教えの全てが要約されている。私達の従い得ない心に対して、主イエスに従うこと、このことが唯一としめされる。
「神には何でもできる」二七節の、ゆるぎない神の招きに飛び込むことが、主の平安の内に生きることです。主の声をみ言葉より聞き、神の招きの言葉を信じて歩むとき、心が喜びにふるえ、神のものへと歩みが与えられるのです。
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