6月15日 「キリストを通して」 マルコによる福音書10章1
-12節
「離縁について教える」
1
イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた。2
ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。3
イエスは、「モーセは、貴方たちに何と命じたか」と問い返された。4
彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。5
イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。6
しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。7
それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、8
二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。9
従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」10
家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。11
イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。12
夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」結婚式で牧師が用いるこの言葉は、男女が結婚を通して新たな一つの共同体をなすという主イエスを通して語られた神の宣言である。
今日の聖書の箇所で、パリサイ派の人々がイエスを試そうとして離縁の問題を持ち出した。イエスは、彼らにモーセはどう命じているかと問い返し、パリサイ派の人々はモーセの律法には「離縁状を書いて離縁できる」と書かれていると答えた。イエスは、「あなた達の心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。」とお答えになり、続いて天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになり、神によって男女が結び合わされるという天地創造の根本的な姿をお示しになった。
私たちは聖書のみ言葉を自分に都合のよいように解釈しがちである。即ち、そこには神ではなく自分が中心にある。この姿勢はみ言葉によって生きる姿ではない。祈りの時、このような問いかけを受けてはいないだろうか?イエスは、このことを「あなたたちの心が頑固なので」と言われた。
主が共にいます礼拝の場で頑固な心を打ち砕かれることを祈り、主イエス・キリストを通して真の命のみ言葉を与えられ、御言葉によって生かされている喜びをしっかりと見出して歩んで行きたい。
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