7月28日  「私達がいるべき所」 マルコによる福音書32030

「ベルゼブル論争」

20 イエスが家に帰られると,群集がまた集まって来て,一同は食事をする暇もないほどであった。

21 身内の人達はイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。

22 エルサレムから下ってきた律法学者たちも,「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い,また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。

23 そこで,イエスは彼らを呼び寄せて,たとえを用いて語られた。「どうして,サタンがサタンを追い出せよう。

24 国が内輪で争えば,その国は成り立たない。

25 家が内輪で争えば,その家は成り立たない。

26 同じように,サタンが内輪もめして争えば,立ち行かず,滅びてしまう。

27 また,まず強い人を縛り上げなければ,だれも,その人の家に押し入って,家財道具を奪い取ることはできない。まず,縛ってから,その家を略奪するものだ。

28 はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も,すべて赦される。

29 しかし,聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず,永遠の罪の責めを負う。」

30 イエスがこう言われたのは,「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

主イエスご自身でよしとされた場所,家に帰られ,そこでこの論争の場面が展開された。主イエスは,律法学者の妬みにあふれたベルゼブル話しを正され,なぜ悪霊の力で悪霊を追い出す必要があるのか,また聖霊を冒涜する者は赦されない罪に陥ると警告を与えられた。それは,私たち一人一人の心の中で,一番だ,よしとしている心が本当の真の家になり得るかどうかを主イエスは正されているのである。様々な論争もあの十字架も私達を真実の家に住まわせるための主の戦いなのである。

神様は,私達に神の国,万事を益として下さる帰るべき,いるべき場所を与えて下さっている。そこには本当の休息があり本当の力の源がある。ゆるぎない神の家が既に与えられている事を確信するが故に,喜び,礼拝に集い,賛美を高らかに捧げ耀きを放つのである。

主は既にいるべき場所を与え側にいて語りかけていて下さることを刻みつつ,神の安らぎを手に歩みを進めたい。                                                                                                        



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