7月15日  「いやしか宣教か」  マルコによる福音書 1章32-39節

富士見丘教会協力神学生:東京神学大学修士課程   林 完赫

32夕方になって日が沈むと,人々は,病人や悪霊に取りつかれたものを皆,イエスのもとに連れて来た。

33町中の人が,戸口に集まった。

34イエスは,いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし,また,多くの悪霊を追い出して,悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

35朝早くまだ暗いうちに,イエスは起きて,人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。

36シモンとその仲間はイエスの後を追い,

37見つけると,「みんなが捜しています」と言った。

38イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも,私は宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」

39そして,ガリラヤ中の会堂に行き,宣教し,悪霊を追い出された。

シモンの姑の熱病を癒したイエスは,引き続き病人は悪霊に取りつかれた人々を癒した。安息日で日が沈んでからのこれらの活動は夜遅くまで続いた。が、翌朝まだ暗い中に起きて人里離れた所で祈っておられるイエスをシモン等は見つけた。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでもわたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」と…。

イエスの祈りは,根本的なところで神の意志を問い自らの使命を確認する時で,祈りにおいて示された父なる神の意志に従うものであった。次の地でもやはり宣教し悪霊を追い出し,イエスの働きは一貫して揺れることはなかった。

私共の教会も,宣教に対する思いが揺れることなく豊な実りを結ぶことが出来ますように。

BGMは、BACHのフーガ(little fugue)作品578です。


ホームページに戻る    み言葉に聞くに戻る