7月6日  「キリストの名によって立ち上がる」詩編462-12

                       使徒言行録31-10

                                           東方敬信牧師

詩編462-12

2 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦、。

苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。  

3 わたしたちは決して恐れない

  地が姿を変え

  山々が揺らいで海の中に移るとも  

4 海の水が騒ぎ、沸き返り

  その高ぶるさまに山々が震えるとも。

5 大河とその流れは、神の都に喜びを与える

いと高き神のいます聖所に。

6 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。

夜明けとともに、神は助けをお与えになる。

7 すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。

  神が御声を出されると、地は溶け去る。

8 万軍の主はわたしたちと共にいます。

ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。

9 主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。

主はこの地を圧倒される。

10 地の果てまで、戦いを断ち

弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。

11 「力を捨てよ、知れ

わたしは神。

国々にあがめられ、この地であがめられる。」

12 万軍の主はわたしたちと共にいます。

ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。

使徒言行録31-10

1 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。

2 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。

3 彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。

4 ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。

5 その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、

6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

7 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、

8 躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。

9 民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。

10 彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しをこうていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。

 ごく普通に歩いている私達が「歩けることの恵み」を感じるのは、閉じ込められたり、病気などで歩けなくなった時である。

人生の歩みも「恵み」を感じつつ、目的を持って自発的に歩むならば、明るい旅路になるはずである。

 本日の聖書の箇所で、生まれながらにして(運命的に)歩けない人は、ペトロとヨハネから「私たちを見なさい」と言われ、

その堂々とした態度から二人を金持ちだと思い見つめていた。運命に囚われた人は、自分で立ち上がろうとせず、人に何かをしてもらうことを期待している。しかしペトロは、金銀ではなくイエス・キリストの名によって立ち上がるように手を差し伸べた。これはペトロのように取り返しのつかない過ちを犯した者でも、復活のイエス・キリストを知ることにより、過去から解き放ち未来への新たな歩みを始められたという信仰が背景にある。

 聖書は「歩く」ということをとても大切にし、人間の営み全てを歩くことに譬えている。神様から託された生活の場(家庭・仕事・市民としての政治)において、道であり真理であり命である主イエス・キリストに従って、神様に心から感謝し、神様の栄光を称えながら人生を歩んでゆくことがキリスト者としての信仰の姿である。

 私達のように弱い存在でも、イエス・キリストの名は立ち上がらせ、充実した人生の旅路を歩ませてくださる。神様に与えられた道をしっかり歩んで行きたい。

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