7月27日  「主の御声を受けて」  マルコによる福音書1046-52

「盲人バルテイマイをいやす」

46 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群集と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、テイマイの子で、バルテイマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。

47 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と言い始めた。

48 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、私を憐れんでください」と叫び続けた。

49 イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」

50 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。

51 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。

52 そこでイエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

聖書のこの箇所は,マルコの福音書が最後に示した主の奇跡です。

目が不自由なため人の哀れみだけに頼って生きていたバルティマイは,ナザレのイエスが来られたという知らせを聞き、周りの人たちの制止を振り切り「主よ憐れみたまえ!」と叫び続けました。イエスはバルティマイに目を留め「彼を呼べ」と命じ、「何をして欲しいのか」とバルティマイに問いかけ、バルティマイは「目が見えるようになりたいのです」と答えました。イエスの「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」との御言葉に接し、バルティマイは目が見えるようになり、飛び上がり、躍り上がって喜び主に従って行ったとあります。

バルティマイは目は見えませんでしたが、主がおられることを確信し、イエスが唯一自分を救ってくれる方だと信じ、主の招きの御声を聞きすべてを主に委ね、そして、イエスご自身がそのバルティマイの心をしっかりと受け止めてくださったのです。

信仰を与えられると言うのは、まさしく、バルティマイの姿ではないでしょうか。主は、主に委ねる者の願いを見過ごすお方ではありません。我々も、主が共にいてくださることを確信し、主の招きの御声を受けて日々生まれ変わり、共に主を源とする真の命に立つ喜びを証しするために歩みだそうではありませんか。

 

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