1月27日  「二つの願い」      

ヤコブとヨハネの願い

 

35 ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て,イエスに言った。「先生,お願いすることをかなえていただきたいのですが。」

36 イエスが、「何をしてほしいのか」といわれると、

37 二入は言った。「栄光をお受けになるとき,わたしどもの一人をあなたの右に,もう一人を左に座らせてください。」

38 イエスは言われた。「あなたがたは,自分が何を願っているのか,分っていない。この私が飲む杯を飲み,この私が受けるを受けることができるか。」

39 彼らが、「できます」と言うと,イエスは言われた。「確かに,あなたがたはわたしが飲む杯を飲み,わたしが受けるを受けることになる。

40 しかし,わたしの右や左にだれが座るかは,わたしの決めることではない。それは,定められた人々に許されるのだ。」

41 ほかの十人の者はこれを聞いて,ヤコブとヨハネの事で腹を立て始めた。

42 そこで,イエスは,一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように,異邦人の間では,支配者と見なされれている人々が民を支配し,偉い人たちが権力を振るっている。

43 しかし,あなたがたの間では,そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は,皆に仕える者になり、

44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。

45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために,また,多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。

ヤコブとヨハネからの主イエスへの願いごと,それは,主イエスが,神の国へ入られるとき,自分たちは、よい地位につきたい,というのであった。他の弟子たちも皆同じような野心をもっていた。

私たちの世界でも,特にこの百年は競争社会を走っている。弟子たちの願いに反し,主イエスの願いは,彼らの思いをくつがえして,---わたしは,仕えられるためにではなく,仕えるために,自分の命を献げるためにこの世に来たのであるーーーーと。これが主イエスの価値観であって,真の愛にみちた教えであり,,これが,弟子たちへのよびかけでもあった。

私たちの日常も人間のエゴイズムにより,比較の世界のどれいになってゆくことのない様に,この主イエス・キリストの愛の教えに従う日々でありたい。

本当の自由とは,礼拝をとうして,神に仕えることの出来る喜びの自由である。信仰生活は,礼拝を中心として,神を讃美し乍ら,精いっぱいの日常生活を生きることである。

                                                                                                       



BGMはBachのコラール前奏曲「われ汝に呼ばわる,主イエス・キリストよ」作品639番 です。

ホームページに戻る       み言葉に聞くに戻る