1月21日 「天に国籍を持つ喜び」 フィリピの信徒への手紙 第3章17節-21節
富士見丘教会協力神学生:東京神学大学修士課程 米田芳生
兄弟たち,皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。又,あなたがたと同じように、わたしたちを
模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。
何度も言ってきたし,今また涙ながらに言いますが,キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が
多いのです。
彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし,恥ずべきものを誇りとし,
この世のことしか考えていません。
しかし,わたしたちの本国は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを,わたしたちは待っています。
キリストは,万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、
御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
わたしの祖父の墓に「われらの国籍は天にあり」と文語訳でこの二十節の聖句が刻まれている。
喜びの書簡と言われているのに,十字架に敵対して歩んでいる者,堕落して神から離れてしまう
滅び行く者の運命に,パウロは深い悲しみの涙を流している。
恥ずべきものを誇りとする行いは大きな罪の姿であると・・・・。
しかし,放蕩の限りの末に,己の罪を悔い改めたあの息子は,父親の家に帰り平安の中に過ごした。
私達にも帰るべき場所がある。そこで待っていて下さるお方がいる。
帰るべき所,天に本国を持つ者である。これ程大きな喜びはない。
限られた地上の歩みが終わったならばみ国へと帰ることも赦されている。
ただ一点あなたに総てを委ねこのみ言葉に立って歩もう。