1月19日  「あらゆる事を越えて進む」 マルコによる福音書7章24-30節

「シリア・フェニキアの女の信仰」

24 イエスはそこを立ち去って、テイルスの地方に行かれた。ある家に入り、誰にも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。

25 汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。

26 女はギリシャ人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。

27 イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない。」

28 ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓に下の子犬も、子供のパン屑はいただきます。」

29 そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘がらもう出てしまった。」

30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。

 一人の女性を通して異邦人への伝道が示されていることを今日の聖書の箇所から学び、信仰の姿を新たにする。

 主の元にきたこの女性は、救いの外にいる蔑まれている女性であった。娘を助けてほしいと願い、主の前にひれ伏した。 二七節での主の厳しい言葉、ユダヤ人に充分に与えたのち異邦人に、という言葉の意味は何であろうか。主は、奇跡を求めるもの、ご利益(ゴリヤク)を求める者に主の力の本当の意味を示そうとされた。 『主よ』と呼びかけるカナンの女の呼びかけはマルコ福音書ではこの箇所だけである。主の応答に子犬であることを受け入れ、更に求め、従う。神の道を見いだそうとする心だけが生まれている。ここに信仰の姿がうまれ、信仰の道が始まり、娘の癒しが約束される。 文語訳聖書では『安んじゆけ』とある。「安らかに歩みなさい」と神の支配の世界の約束をくださる。子犬も主の恵のかけらを受ける。 主にゆだね、新たな一歩を進みましょう。

 

ホームページに戻る   み言葉に聞くに戻る