1月13日  「富の用い方」  マルコによる福音書1017-22節    

「金持ちの男」

17 イエスが旅に出ようとされると,ある人が走り寄って,ひざまずいて尋ねた。「善い先生,永遠の命を受け継ぐには,何をすればよいでしょうか。」

18 イエスは言われた。「なぜ,わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに,善い者はだれもいない。

19 『殺すな,姦淫するな,盗むな,偽証するな,奪い取るな,父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」

20 すると彼は,「先生,そうゆことはみな,子供の時から守ってきました」と言った。

21 イエスは彼を見つめ,慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い,貧しい人々に施しなさい。そうすれば,天に富を積むことになる。それから,わたしに従いなさい。」

22 その人はこの言葉に気を落とし,悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

イエスに永遠の命について尋ねた人は物質的には満たされていたが,それだけでは満足できなかった。このままでいいのだろうか、変わらない確かなものが欲しい,という心の渇きの強さゆえに一刻の猶予もならずイエスのもとへ駆けつけたのである。こうした思いはいつの時代にも共通である。永遠の命とは不老長寿ではなく,輝きのある命のことである。自分を捨てるという覚悟なしにはその輝きを得ることはできない。今持っているものに信仰を付け足すのではなく,イエスにすべてをゆだねることを土台として人生をいったんひっくり返すことが必要である。それはとてもむずかしいことだが,神にはできる。私たちの生涯は「すべてを捨てて従ってきなさい。」というイエスの言葉を一歩一歩進んで行く途上であるといってよい。イエスによって罪が許され生かされていることを感謝して新しい生活を始めることが求められている。

産業革命時代のイギリスでウエスレーは労働者たちに「大いにもうけ,大いに節約し,できるだけ与えなさい」と語った。しっかりと自立した人間として生き,神に賜物を与えられていることを感謝し,隣人を支える。自分の生きる意味と価値をイエスにゆだねて生涯を考えること,それが永遠の命を得るためにどうしたらいいかという問に対する唯一の答えである。                                                                                                 


 


BGMはBachのカンタータ61番「来れ,異教徒の救い主」 です。

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