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この讃美歌は、作詞が三谷種吉、曲は作曲者不詳(曲名:God's Love)となっている。『讃美歌第二編』よりも後の『救世軍歌集』(1997)や『新聖歌』(2001)でも、作曲者は Anonymous (作者不詳) とされている。三谷種吉の『基督教福音唱歌』(1901)に載ったもので、中田羽後編『リヷイヷル聖歌』(1909)を経て『讃美歌第二編』に収録された。『讃美歌第二編略解』では、「三谷の作曲かもしれない」という憶測を紹介しつつ、「当時の米国の福音唱歌集からとられたものであろう」と推測していた。以下のようにこの推測は当たっているようである。■D. DeWitt Wasson, Hymntune Index and Related Hymn Materials (1998) によると、1893年にロバート・ロウリー(Robert S. Lowry、1826-1899) が作曲した。しかし、ワッソンの索引に記載のある収録讃美歌集はスウェーデンとノルウェーの讃美歌集がそれぞれ1点のみで、英米の讃美歌集が挙げられていない。曲名も “Brist ut, min själ” であって英語曲名が示されていない。いくつかのインターネット・サイトによると、"Brist ut, min själ, i lovsångs ljud" の原詩作詞者はファニー・クロスビー(Fanny Crosby) であるが、英語の原題・原詩はわからない。スウェーデンの讃美歌集 Svenska Missionsforbundets sangbok (1903, no. 424) には “Brist ut, min själ” として楽譜とともに収録されていて、作曲者は R. Lowry と書かれている。『基督教福音唱歌』では9拍子であったとのことであるが、スウェーデン版は『讃美歌第二編』と同じく6拍子である。なお、ワッソンの索引に God's Love という曲名の讃美歌がいくつかあるが、いずれも「神はひとり子を」の曲ではない。
この讃美歌は、「ただ信ぜよ」(聖歌424番 作曲はJ.H.ストックトン)と共に、三谷種吉の代表作であり路傍伝道に良く用いられた。
■三谷種吉(
1868-1945)は、「日本で最初の音楽伝道者」と言われている。明治の初期に横浜についで開港し外国人が多く住むことになった神戸で生まれ育ったことと、彼の音楽を含めた優れた才能と真摯な性格が、宣教の為に來日する熱心な外国人の宣教師達との接触の輪を次々と広め、その後の彼の生涯(伝道活動や唱歌・讃美歌の翻訳、作詞、編纂など)に大きな影響を及ぼした。大塚野百合著「賛美歌・唱歌ものがたり」- 創元者-によると彼の外国人との接触の事例は次の通りである。1875年、アメリカン・ボードの宣教医J.C.ペリーに導かれて入信し、洗礼を受ける。1897年、アメリカン・ボードの宣教師S.L.ギューリックを助け開拓伝道を始める。ギューリックの紹介で、松江の英国人宣教師バックストンと会い音楽の才能を認められる。(音楽伝道への感化)バックストンに語学の才能を評価されA.P.ウイルクスの日本語教師となる。1904年バックストンを長とする日本伝道隊を設立。等。三谷種吉については,WebSite検索でも35件あり,また、「賛美歌・唱歌ものがたり」にも特に福音唱歌との関連で詳しく記述されている。ここでは、
http://www.ac.wakwak.com/~taka-shi/nakaichi/mitani.html
からその生涯を引用いたします。
三谷種吉
先生は明治元年生れで、当時日本では珍しいクリスチャン・ホームに育った。父佐介翁は、気骨のある信仰の持主で、その伝記には心打たれるエピソードがいくつかある。
■背景のmidiは新たに作成しました。
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