讃美歌98番 「あめにはさかえ み神にあれや、」
■歌詞がチャールス・ウエスレー、原曲がメンデルスゾーンと何れも著名人によるクリスマスの代表的な賛美歌である。チャールス・ウエスレー(Charles Wesley 1707-0788)は、兄のジョン・ウエスレーと共にメソジスト運動を推進し、メソジスト運動の代表的歌人であると同時に、英語賛美歌作者中の王者と目される人である。この歌は英語で書かれた4大讃美歌の一つとされているが、他の3つは、22番「めさめよ、わがたま」、142番「さかえの主イエスの」、260番「千歳の岩よ、」と言われている。ウエスレーの作でこの歌ほど多くの歌集に採用されているものはない。
■チャールス・ウエスレーは英国国教会聖職の子として生まれ、オックスフォード大学卒業後、兄ジョン・ウエスレーと共に伝道のためアメリカに渡ったが、事志に反してイギリスに帰り、1738年、モラヴィア派の集会で回心を体験した。(モラヴィア派は15世紀、ボヘミアに成立した原始教団を模範とし、簡素で敬虔な信仰生活を目指した集団である)この賛美歌は、彼の回心体験の翌1739年に発表されたもので、何故、御子の降誕を祝うのか、それは、その御子によって、神と罪人である我々が和解できたからである、ということがこの歌の核心であるということだが、この讃美歌の歌詞の訳では、その点が触れられていない。「聖歌 123番 きけやうたごえ」では、第1節に「かみはよびとと やわらぎませば」と神との和解が示されている。
■曲は、英国で教会オルガニスト、声楽家として活躍したウイリアム・カミングス(William Hayman Cummings 1831-1915)が、メンデルスゾーンが1846年に作曲した「祝典歌」から編曲したものである。カミングスは、16歳の時、メンデルスゾーンが自ら彼の作品オラトリオ「エリア」の英国での初演を指揮したコンサートで、合唱団の一人として歌った経験があるとの事である。1855年に「祝典歌」を聞き、この曲に異常な感動を覚えて、この第2番目の合唱をチャールス・ウエスリーの“Hark! the herald angels sing”に配することを思いつき編曲し、当時オルガニストをしていたウオルサム聖堂で発表し、意外な好評を博した。その後、この賛美歌が印刷され、英米のあらゆる讃美歌集に取り入れられてクリスマスの世界的な名曲となった。それまでは、“Hark! the herald angels sing”には色々な曲が付けられたがぜんぜん普及しなかった。
■メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn 1809-1847)は、ユダヤ教徒の家庭に生まれたが、7歳の時にキリスト教徒に改宗した。『20歳の時に、恩師の反対を押し切って、ベルリンで「マタイ受難曲」100年祭の年に、100年間無視されていたこの受難曲を復活させた話は有名ですが,彼がこのバッハの作品に心を奪われたのは、それが音楽的に素晴らしいという理由に加えて、メンデルスゾーンが、自分の魂の深い宗教的な渇きを潤す作品がここにあると確信したからではないでしょうか。』(大塚野百合著 賛美歌と大作曲たち)
■尚、「エリア」は、ハイドンの「天地創造」、ヘンデルの「メサイア」と共に、3大オラトリオと称されている。
背景のmidiは新たに作成しました。
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