讃美歌82番 「ひろしともひろし」

■神の愛を主題としたスコットランドの著名な聖職者、讃美歌作詞者Horatius Bonar1808-1889)の歌である。
スコットランドではイングランドよりも早く宗教改革が実現され
1567年、国教会(the Church of Scotland)となったが、教会と教会員の自由、自主性を前提とした長老と教職者による教会の運営を基本とするいわゆる長老派(Presbyterianism)が主体であった。しかし、国教会であったがゆえに、国や地域の有力者たちとの対立がしばしば起こり1843年には400名以上の聖職者が国教会を離脱し、新たに自由教会(Free Church)を結成する事件が起こった。Horatius Bonarは、自ら率先したわけではないが、これらの運動に理解を示して離脱した一人で、後に自由教会の総会議長に選出されている。(彼の弟達や友人がこの運動を積極的に推進した。)“個々の教会がその教会の牧師を選ぶ権利”を守ることがこの運動の一つの大きな理由であった。Bonarは、ちょうどこの時期に結婚したが、5人の子供を次々と失う悲しみを経験した。しかし、生き残った娘の一人が未亡人となり5人の子供(Bonarにとっては孫)と連れてBonar夫妻の許に帰ってきたとき「神はかって5人の子供を召されたが、今、神は新たに5
人の子供を神のお役にたつべく育てるようこの年寄りに授けてくださった。」と友人に書き送っている。その後、Free Churchの大多数の教会は、国教会を離脱したその他のグループとの統合(United Free Church of Scotland)を経て、1929年、再びスコットランド教会と統合したが、一部は現在でもthe Free Church of Scotlandとして独立を維持している。

■曲はVigil Corydon Taylor1817-1891 米国人)による。1620年、メイフラワー号で新大陸に渡り、メイフラワー宣言をした人の直系の子孫といわれる。幼少のころから音楽的天分を持ち、教育の機会に恵まれ、トマス・ヘイステイング、ロウエル・メイスンの影響を受け音楽教育に興味を持ち、方々の学校で音楽を教えた。また、各地でオルガニストや合唱団指揮者をつとめ最後は、アイオワ州デ・モインの聖パウロ教会のオルガニストとして終わった。曲名LOUVANの由来は分からない。LOUVANは、トマス・ムアの“There’s

 nothing bright above,below”のために作曲されたが、その単純にして気品の高い旋律は、米国人の好むところとなり、いろいろの歌詞に配されて、米国で普及している。

 

背景のmidiは新たに作成しました。