讃美歌75番 「ものみなこぞりて」
■アッシジの聖フランチェスコ(Francesco
d’Assisi,1182-1226)の「太陽の賛歌」をベースに創られた歌詞である。「太陽の賛歌」は文字通り、天地創造の神の創造された一つ一つを、太陽を、月を風、大気、雲、清い空、水を、日を、光を、夜を数へ上げて、神を讃えたものである。曲は、1623年にドイツのケルンで出版されたドイツ語の讃美歌集(Geistliche Kirchengesänge)に掲載された「いざわれら喜ばん」(LASST UNS ERFREUEN)という復活節聖歌の曲(イースター・ハレルヤ EASTER ALLELUIA)であるが、作者は不明である。ドイツではルターの“音楽は福音と共にあるもの”との信仰により聖歌が大衆に親しまれるものとなり、ルターの生時から17世紀にかけて無数の讃美歌が創られ、従って多くの讃美歌集も編集された。この讃美歌集もその一つである。
■聖フランチェスコは、イタリアのアッシジの裕福な商人の家に生まれたが23才の時、重い病にかかったのが転機となって信仰に入り、徹底した清貧に生きる中で主に対する愛と深い喜びに満たされた生涯を送った。聖フランチェスコのこの決心を促した一つはマタイによる福音書10章のイエスが12人の弟子を派遣する時にいわれた言葉、「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も2枚の下着も、履物も杖ももって行ってはならない。」であったと言う。この讃美歌の元となった「太陽の賛歌」は彼の死の前年、43歳で肉体的に極度の苦痛に襲われている時に生まれたものである。彼はいつも自分の罪に涙し、自分の罪のために十字架に架かけられたイエスの苦しみに与りたいと願っていた。4節の「世の悩みも死も いかで恐るべき、」とフランチェスコは、死を神の恵みとして、喜んで待っていたのである。
■修道会の一つであるフランシスコ会(小さき兄弟たちの会)は、聖フランチェスコを基とする。修道院に定住することなく、托鉢をしながら福音を説いてまわり、後に世界規模で活躍した。日本にも1593年から多くの殉教者を出しながら宣教したが、日本では16世紀にスペイン(バスク出身)で設立されたイエスズ会のフランシスコ・ザビエルが最初の宣教師として1549年に渡来している。
■このサイトの表紙(ホームページ)に聖フランチェスコの「平和の祈り」が英語と日本語で紹介されています。尚、日本語の祈りの末尾に聖フランチェスコについての少し詳細な紹介が掲載されています。
背景のmidiは新たに作成しました。
ホームページに戻る