讃美歌506 「たえなる愛かな」

■この讃美歌は、19世紀後半、米国における信仰復興運動(リバイバル)で活躍した著名な福音伝道家(Evangelist)の作詞と福音伝道歌手(Singing Evangelist/Evangelistic Singer)の作曲による数多くの讃美歌の一つである。両者の共作は多くあるが、日本キリスト教団“讃美歌”では、この1曲だけである。
歌詞名でもある英語歌詞初行”For God so loved!O wondrous thought”の最後はthoughtではなくthemeである。又、曲名は正確には”Glory to God The Father”である。即ち(おりかえし)の”みさかえあれや、み神に”を意味している。

■作詞者Daniel W. Whitle18401901)は、南北戦争に従軍、シャーマン将軍のもとで戦ったこともあるが負傷して右腕を失った。治療の為入院中、枕元にあった聖書を読むようになり、あるとき死の間際にある若い兵士から祈りを頼まれた。この時に、神の導きを知り、退院後、福音伝道者D.L.Moody1837-1899)との出会いを契機に福音伝道家の道を歩む決心をした。退役時、少佐の位であったのでMajor Whittle(ウイットル少佐)と呼ばれるが、数多く作詞した讃美歌では“El Nathan”の名前を使っている。

■作曲家James McGranahan(1840−1907)との出会いは、不幸な事件がきっかけであった。

ウイットル少佐と共に福音歌手として共に伝道に励んでいたPhilip P.Bliss(1838-1876)が鉄道事故で38歳の若さで急死したのである。事故の現場に急行したウイットル少佐は、そこで、同じく駆けつけたマックグラナンと出会ったのである。才能に恵まれた歌手としてブリスとマックグラナンは旧知の間柄で、かねがねブリスは、(多分、同年代であり、ペンシルバニア州出身であったこととも関連)オペラ歌手として嘱望されていたマックグラナンに神の為に才能を捧げるよう福音歌手になることを勧めており、ウイットル少佐にも彼のことを話していたので、初めての出会いであったけれどもお互いに相手を認め合ったのであった。事故現場からは、ブリス夫妻の遺体は識別できなかったけれども、ブリスのトランクが見つかり、その中から“My Redeemer 私の贖い主よ”のテキストが見つかった。ガラテヤの信徒への手紙3章13節「キリストは、私たちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです。」をもとにしている。ブリスが作曲する為に作詞したものと思われるが、マックグラナンは、このテキストをもとにすぐに作曲に取り掛かった。そして、次のシカゴでの集会に紹介され聴衆に大きな感動を与えた。

■この讃美歌は、福音派の讃美歌107番“十字架のうえにて”で採用されている。このようなきっかけで、ブリスからマックグラナンに宛てた最後となった手紙に「穀物を打って主のために収穫しなさい」との勧めの言葉を日夜反芻する日々が続き、ウイットル少佐の勧誘もあり、マックグラナンはオペラ歌手の道を捨てて福音歌手としての使命を歩むことになり、ウイットル少佐と共に全米各地はもとより、英国までも共に伝道活動に従事した。二人の活動は19世紀の最後まで続いた。

Philip Paul Bliss1838-1876 米国人)について。

ブリスは、福音唱歌(Gospel Songs)作家中の優れた人である。ペンシルバニア州に生まれ、シカゴで音楽を学んだ後、音楽を指導し或は聖歌隊の指揮者として又日曜学校の校長として日曜学校用の歌曲を作った。19世紀項半の米国では、キリスト教の改革運動(大覚醒運動-the Great Awakening-)のうねりの中で19世紀最大の説教家(evangelist preacher)と言われるDwight Lyman Moody1837-1899)が、聖歌歌手(gospel singerIra D. Sankey1840-1908)と組んで全米はもとより英国を始め大陸諸国を巡回伝道し多くの人々を信仰へと導いたが、各地での集会でSankeyが好んで用いた聖歌の一つがブリスの作ったものである。Gospel SongsHymns)のカテゴリーは,MoodySankeyの活躍によって確立されたもので米国讃美歌の第2期黄金時代を形成した。Gospel Songsの特徴としては、福音書の教えを強調した平易、簡素で反復的、庶民的、律動感ある旋律で愉しく歌い易い作品が多い。

Gospelの起源について

英語の讃美歌”hymn”がギリシャ語”hymnos −神々、英雄或は著名人を称えるための歌―”を語源としている様に、ローマ帝国でキリスト教が認知されキリスト教が帝国の内外に布教されていったので国々固有の言葉のなかでキリスト教に関する用語(聖書、礼拝など)は当時のローマ帝国で使用されていたギリシャ語やラテン語がそのまま或は語源として取りいれられていった。教会”church”オルガン”organ”ミサ”mass”司祭”priest”などギリシャ語或はラテン語から英語になった。ところが,God”は数少ない英語のオリジナルで紀元4、5世紀から英国に移住し始めた現在の北ドイツ地方に住んでいたAnglo-Saxon系の神を表わす言葉である。6世紀の終わり頃、教王グレゴリウスが布教の為聖アウグステイヌスを英国に派遣した際、改宗を容易にするためAnglo-Saxon系民族固有の宗教用語を尊重した為といわれる。そして,Gospel”はAnglo-Saxon系の”Godspell”即ち”良き報せ=福音”から来ている。

背景のmidiは新たに作成しました。