讃美歌40番 第二編 「ものみなこぞりて」
■神が創造された自然に感謝し賛美した歌である。
作詞者
Henry Ware、Jr.(1794-1843 アメリカ人)は、19世紀初頭、ボストンを中心に台頭したユニテリアン派の牧師である。18世紀後半から19世紀にかけて、アメリカではカルヴィン主義中心のピューリタンから、幾つかの新しい流れが起こり、バプテスト派やメソデイスト派が拡大していったが、ユニテリアン派もそれらの流れのひとつである。Henry Ware、Jr.は、ハーヴァードを卒業し牧師となったが、彼の父が、元来、カルヴィン派(組合派)のために創設されたハーヴァード大学の神学部教授に就任して以来、ユニテリアン派の拠点となっていた。これに対し,カルヴィン派は、1808年アンドーヴァーに神学校を設立(Andover Seminary)又、1812年には、長老派によってプリンストン大学(Princeton Theological Seminary)が設立された。Henry Ware、Jr.はこのような時代背景の元で牧会にあたった。■曲名の“
Bethlehem”について:Armin Haeussler, The Story of Our Hymns (St. Louis, Mo.: Eden Publishing House, 1952, p. 187) によりますと、BETHLEHEM (SERAPH) の曲は最初 "While Shepherds Watched Their Flocks by Night" に付けられていたもので、1874年出版の Church Hymns with Tunes に収められて、そこでは "Old Carol" とされていました(曲名BETHLEHEMは、"While Shepherds Watched Their Flocks by Night" に付けられたことに由来しています)。しかし、この曲は Fink が Matthias Claudius 作曲の "War einst ein Riese Goliath――かって、巨人ゴリアテがいた" (1842) を編曲(adaptation)したもの、とのことです。作曲者
Gottfried Wilhelm Fink(1783-1846 ドイツ人)は、バッハが活躍したライプチッヒで終生を過ごした、この時代を代表する人物(神学、音楽)である。Beethoven(1770-1827)とほぼ同じ年代といえる。早くから作曲を始め、ライプチッヒ神学校で学び、教職を補佐した後、自ら設立した少年教護院を主宰した。
1808年から、音楽関係刊行誌に寄稿し、編纂責任者となり、又、ライプチッヒ大学で講義を受け持った。ライプチッヒ大学から名誉博士の称号を与えられる他に内外から多くの表彰を受けた。彼は、ドイツ歌曲、唱歌1000選で有名である。
背景のmidiは新たに作成しました。
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