讃美歌399番 「なやむものよ、とく立ちて、」
■明治以来、「庭の千草」として日本で親しまれてきた唱歌の作詞者が、この賛美歌の作詞者である。
「庭の千草」の曲はアイルランド民謡であるが、アイルランドの詩人トーマス・ムーア(Thomas Moore 1779-1852)の作詞「夏の最後のバラ The Last Rose of Summer」が翻訳されて、1876年(明治9年)賛美歌として日本で歌われ、1884年(明治17年)「基督教聖歌集」として出版されると共に「小学唱歌集」第3編に“菊”という題名で採用され日本人の愛唱歌となった(その後、庭の千草と題名が変わる)。ローズ即ちバラが、菊になったのは、多分当時の日本ではバラはあまり馴染みなく伝統的な菊に変えられたのであろう。
■トーマス・ムーアは、アイルランドの首都ダブリンの裕福な商人の息子として生まれ、トリニテイ・カレッジで学んだが、カトリック教徒であったため卒業が許されず、ロンドンに出て法律を学び、その後、バーミューダ統治の責任者となっている。詩人としてのムーアは、後世に残るアイルランド民謡を次々に書いて文名を高め、バイロンやシェリーのような高名な詩人達と交友を深めた。
■賛美歌ではこの一編のみしか残っていないようである。この歌は1824年に発表され、「祈りの慰め」と言う題がついていた。「悲しみに沈んでいる者よ、神のもとに来なさい」と呼びかけ、「天が癒すことのできない悲しみは、この地上にはありません “Earth has no sorrow that heaven cannot heal.”」という慰めに満ちた言葉で各節が締めくくられている。ここのところは、賛美歌の歌詞では「かなしみは地にあらじ」と少し分かりにくい。
■曲名は“CONSOLATOR 慰める者”となっているが、他にCONSOLATION,ALMA等の曲名もある。作曲者はサミュエル・ウエッブ(Samuel Webbe 1740-1816)で“Alma Redemptoris Mater うるわしきかな、救世主の御母よ”のために書かれたが、1831年トマス・ヘイステイング及びロウエル・メイスン共著の聖歌集(Spiritual Songs for Social Worship)で上記のトーマス・ムーアの歌詞に配されて発表され、爾来米国でCONSOLATOR等の曲名で普及し、わが国でも、1931年(昭和6年)版の『賛美歌』に採用されてから広く一般に普及した。
■トマス・ヘイステイングズ(Thomas Hastings 1784-1872)及びロウエル・メイスン(Lowell Mason 1792-1872)は米国の賛美歌の基盤を作り上げた2名の偉大な賛美歌作曲家である。
背景のmidiは新たに作成しました。
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