讃美歌380番 「たてよ、いざたて」

「見よや、十字架の旗たかし」(379番)と並んで、霊の戦いを歌った最もポピュラーな讃美歌である。歌がへたで、讃美歌をあんまり知らなかった救世軍の山室軍平が路傍伝道で歌っていた2編の讃美歌の一つである。「讃美歌・唱歌ものがたり」(大塚野百合著)

19世紀米国の代表的福音宣教者Dudley Atkins Tyng1825-1858)不慮の事故による死の直前,友人であったGeorge Duffield1818-1888)の手をとり「イエスのため立ち上がるよう彼ら(キリスト教青年会と同労者)に言ってください」(Tell them to stand up for Jesus)と囁いた。Duffieldは家に帰ると早速、この感動を作詞し、次の日曜日の礼拝で,エフェソの信徒への手紙614節を主題とした説教を行い、説教の終わりにこの詩を朗読した。

エフェソの信徒への手紙614-16節は次のようである。

「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。」

Dudley Atkins Tyngはペンシルバニア大学卒業後、聖職者としてニューヨーク、オハイオ、ヴァージニア州等で父を補佐し1854年からフィラデルフィアのエピファニー教会の牧師となったが、奴隷制に反対の立場を貫き、その教会から離れて福音伝道者としての道を歩んだ。フィラデルフィアで5000人もの大集会を開き、多くの改心者を導いた直後の不慮の事故で33歳の若さで天に召された。

Duffieldも何代も長老派の牧師を輩出した家の子で、エール大学卒業後、長老派の牧師となりニューヨーク,ニュージャーシー、ペンシルバニア、イリノイ、ミシガン諸州の教会を牧した。西部開拓ブームで、東海岸諸州での集会での人数の減少を痛感して、多くの小集会を育成し、伝道事業に精励、この過程でDudley Atkins Tyngに協力することになった。

曲は,George James Webb1803-1887)作曲の“Webb”という曲名である。この曲は、もと、“’Tis Dawn,the lark is singing”(あかつきに、ひばりうたえり)という非宗教的な歌のために作曲されたが、1842年に讃美歌の旋律として採用され、讃美歌215番「あしたのひかり」“The morning light is breaking”に配されたが、その後、“Stand upstand up for Jesus”の曲として用いられてから、全米に普及し、米国人の愛唱讃美歌の一つとなっただけでなく、イギリスのあらゆる讃美歌集に収められるようになった。

Dudley Atkins Tyngの息子T.S.テイングは明治の初め宣教師として来日し、後に立教大学の学長に就任した元田作之進(1862-1928)に洗礼を授けた。そして、滝廉太郎は、元田作之進が主教をしていた番町の博愛教会(聖公会)で、オルガニストをしており、元田作之進から洗礼を受けたとのことである。「讃美歌・聖歌ものがたり」(大塚野百合著)

 

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