讃美歌267番 「神はわがやぐら、」
ルターの代表作であると同時に,プロテスタント讃美歌の代表作であり、宗教改革の進軍の凱歌といわれています。1529年の少し前に作られたが、瞬く間に全ドイツ始め,ヨーロッパ各地に普及し、プロテスタントの信仰を広めるのにあずかって力がありました。1529年4月20日、ルターの改革を支援したドイツの福音的諸侯はシュパイエル会議で改めて自由のためにプロテストしたので、この時よりルターに与する新教徒は「プロテスタント」と呼ばれるようになりました。この讃美歌の原旋律は古いラテン語聖歌の中に発見されました。この讃美歌は、ウイッテンベルグの城教会でのルターの埋葬式(1546年)で歌われました。
讃美歌の旋律は新たに作りました。
█10月31日は宗教改革記念日です。1517年のこの日、現在のドイツのヴィッテンベルグ大学教授であったマルテイン・ルター(1483-1546、ドイツ)は、ヴィッテンベルグ城教会の門扉に「95か条の提題」を張り出し、魂の救済を免罪符など金銭で売買するローマ教皇庁に公然と抗議し、宗教改革の烽火をあげました。この改革運動は全ヨーロッパに広まりカトリック教会に対してプロテスタント派として現在に至っています。ルターの「聖書のみ」(聖書のみに忠実な教会)、「信仰のみ」(純粋な信仰のみによる内的救済)、「万人祭司」(神の前での平等)の主張は、宗教改革の3大原理として全てのプロテスタント教会の共有財産となっています。
█ルターは聖書を自国語(ドイツ語)で読めるために、1522年ヴァルトブルグ城で新約聖書をギリシャ語から翻訳し、1534年には新旧約聖書のドイツ語訳が完成しました。ルターはまた、讃美歌を牧師と聖歌隊だけでなく、会衆全員が歌えるように改革し、自身でも多くの賛美歌を作り聖歌集を編纂しました。「音楽は神の美しい素晴らしい賜で、神学に近い。」ルターの卓上談話の中の言葉です。また、「讃美歌をよく歌い、神の喜びとなることはどのキリスト者にも隠れなきことであると思う。・・・・しかり、聖パウロも・・」と書いております。その聖書の引用箇所は次の通りです。
「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」(コロサイの信徒への手紙3章16節)「では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。」(コリントの信徒への手紙T 14章15節)
旋律はルターの原作はないとされ、カトリックのラテン語聖歌、改革以前のドイツ宗教歌、民謡等から取材されたといわれています。「讃美歌」にはルターの作品が3曲あります。