■この歌はチャールス・ウエスレイ(下記参照)がレヒ記
25章(安息の年とヨベルの年)9,10節にもとずいて作り、「ヨベルの年」と題されていた。レビ記25章では、主がシナイ山でモーセに次のことを言われた。七年目には全き安息を土地に与えること(休ませる)。安息の年を七回数えた年の翌年(50年目)を聖別し、全住民に開放の宣言をせよ。それが、ヨベルの年である。因みに、ウエスレイはヨベルの年を”Jubilee おめでたい記念の年”としている。ウエスレイは、このモーせの律法を精神的に解し、救いと喜びとの象徴として用いたのである。この歌は、メソデイスト運動の初期に大いにうたわれた。
Charles Wesley 1707-88)はメソジスト教会の創設者John Wesley(1703-91)の弟であるが,数多くの優れた讃美歌を作詞しメソジスト運動の進展に大きく貢献した。英語讃美歌作者の中の王者と目されている人である。■チャールズ・ウエスレイ(
■作曲は
Lewis Edson(1748-1820)米国人。鍛冶屋を業としつつ、音楽を勉強し、教会の聖歌隊で歌っていた。幾つかの讃美歌に作曲したが、この曲は、一時米国人のあいだに広く普及した。今日でも、メソデイスト派その他で、なおかなり広く用いられている。■曲名”
LENOX”は米国マサセッツ州の西端にある町の名前である。ニューヨーク、ボストンから200キロ少しで車でも2-3時間の距離にある。この地域は自然が美しく夏が過ごしやすいく19世紀中頃から夏の別荘地として栄えてきた。1937年にボストン交響楽団が夏の数ヶ月を近くのタングルウッド(Tanglewood)でコンサートを開くようになってから、Tanglewoodの名前で著名になった。今では、毎年、30万人の人がコンサートに集まると言う。2002年からウイーン・フィルを指揮するためボストンを去った小澤征爾氏の貢献も高く、7月13,14日両日小澤征爾氏指揮のボストン交響楽団のさよなら公演がこの地で行われた。”Seiji Ozawa”の記念ホールもある。小澤征爾氏は、29歳からボストン交響楽団の指揮者を務め、米国の主だった交響楽団の指揮者としては現役では最も長く指揮を振った人である。尚,Tanglewoodの地名の由来は,Nathaniel Hawthorneの子供を対象とした”Tanglewood Tales”にあるとのこと,Hawthorneも一時期Lenoxに住んだことがあった。
背景のmidiは新たに作成しました。