讃美歌194番 「さかえにみちたる」
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Amaging Grace”の作詞者John Newtonの歌である。教会をたたえたイギリスの古典的な歌とされ、1779年に詩人のWilliam Cowperと共同で発表された讃美歌集” Olney Hymns”の中でも最高の傑作と認められたものである。尚、”Amaging Grace”もこの歌集で発表された。■原作者
John Newton(1725-1807)幼くして母を失い、11歳の時、父が船長である地中海沿岸交易の商船で働き始めた。船上の乗組員への過酷な取り扱いに耐え難く脱走したこともあったが、父の死後、自ら志願して奴隷交易船で働くようになり、その後、船長になったが、1748年23歳の時、大嵐にあいまさに船が沈没しかかった時に彼は神に祈り、嵐を乗り越え神の働きを確信することとなった。亡くなった母が幼い時に信仰を教えてはいたが、それまでは信仰ニ確信を持っていなかった。暫く奴隷船の船長は続けたが、その間、奴隷の取り扱いには細心の注意を払った。1755年、船乗りを辞めリバプールで海運関係の仕事をしている時にGeorge Whitefield(1714-1770 史上最初のマス・エバンジェリスト大衆伝道家でJohn Wesley兄弟と共にメソデイスト運動を展開した)との出会いがあり,Newtonは聖職者の道を歩むことを決意し、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語などの勉学に励む。イングランド中部バッキンガム州Olney教区の副牧師として長年携わり、後ニ”ST.Mary Woolnoth”教区の牧師で生涯を終えた。Olney
在籍中、詩人のWilliam Cowper(1731-1800)と共同で讃美歌の制作と編纂にあたった。St.Mary
Woolnoth教会にある彼の墓地の墓碑には彼の次の言葉が刻まれている。『かって背信者であり放蕩者 アフリカの奴隷の使用人であった
John Newtonは我らの主であり救い主であるイエス・キリストの豊な憐れみニより救われ罪を許され、そして、自ら長年排斥していた福音を宣べ伝える役割を授かった。彼は16年間Olneyで宣教し28年間この地で宣教した。』■旋律は、現在のドイツ国歌である。1797年「交響樂の父」といわれる”Franz Josef Haydn(1732-1809)”により作曲されオーストリア国歌となり、1841年にはドイツも国歌として採用した。第2次世界大戦後、オーストリアは新たな国歌を制定したが、ドイツでは第2次大戦後、新たな国歌制定の試みが国民の中に定着せず、1952年アデナウアー首相によってハイドンの原曲が国歌の旋律として復活された。(ただし、歌詞の方は誤解を招かない為に3番のみとなっている。Deutschland、Deutschland ūber allesで始まる1節などは無い)
■ハイドンは、2度の訪英によって、英国に美しい国歌”God save the King”があることを知り、危機にひんしている祖国オーストリアにも国民の士気を鼓舞するような国歌が欲しいと思った。1796年ナポレオンのフランス軍がオーストリア軍を破って国民が途方にくれているとき、国民の激情的な愛国熱を奮い起こすために、ハウシュカが「神よ、フランツ皇帝を護り給え」を作詞、ハイドンは翌年、これに4部合唱曲を作曲して、フランツ皇帝の誕生日に初演した。これがオーストリアの国歌となったのである。■この原旋律は、もとクロアテイア地方の民謡であった。更にさかのぼれば、教会で歌われていた賛歌に由来すると言われる。尚、ハイドンはクロアテイアで出生した。
■この曲は、単純にして、荘重且つ宗教的な響きをもっているため、ハイドンの作曲5年目にしてミラー(Miller)のSacred Music、1802年に讃美歌として収録され、英国で歌われるようになった。爾来この曲は,Austrian Hymn;Austria;Hayden;Vienna;Cheadleとうの曲名で英米讃美歌の各版に採用され、ひろく愛唱されている。
背景のmidiは新たに作成しました。