讃美歌第二編185番 「カルバリ山の」

On the Cross of Calvary

『讃美歌第二編略解』には、中田羽後編『リヷイヷル聖歌』(1909)に作詞者作曲者不明として収録されたもので、「曲のスタイルからみて、アメリカの福音唱歌であろうと思われるが、今のところ正確な起源は不明である」と書かれています。
Gordon Avery, Companion to the Song Book of The Salvation Army (1961) によりますと、この歌詞はサラ・グレアム(Sarah J. Graham,1854頃ー1889頃)により作詞されたもので、救世軍のThe Musical Salvationist(July, 1886)に作詞者名を付けずに発表され、1899年の救世軍歌集に収録されました。サラ・グレアムはカナダのオンタリオ州の「救世軍人(soldier of the corps)」で、若い頃から詩作にいそしんでいましたが、婚約者が肺結核で急逝したショックから立直れないまま、35歳の生涯を終えました。なお、『新聖歌』(2001)や『新生讃美歌』(2003)では作詞者・作曲者ともに不明(anonymous)ですが、『救世軍歌集』(1997)および『希望の讃美歌』(2006)ではグレアムの作詞、カークパトリックの作曲(と伝えられる)とされています。
カークパトリック(W.J. Kirkpatrick, 1838-1921)は、J.R. Sweney と共編の『古今福音聖歌集(Hymns of the Gospel New and Old)』(No. 54, 出版年代不明)に "On the Cross of Calvary" を収録しました。この聖歌集の作曲者欄には "E.E.N. (Melody arr. for this Work" と書かれています(ついでながら、ここでは作詞者を "S.C.B." としています)。E.E.N. とはおそらく救世軍大佐で Highway Songs (救世軍歌集)の編者であった E[dward].E. Nickerson と推定されます(この聖歌集の「謝辞」に名前が載っています)。いずれにしても、カークパトリック自身が自分の作品とは言っていませんので、カークパトリックは「編曲者」と考えるのが妥当でしょう。The Band Tune Book of The Salvation Army (London: Salvation Publishing and Supplies, 1987, no. 326) という旋律集にも載っていますが、作曲者名等は記載されていません。また、『讃美歌第二編』版の楽譜は3/4拍子(一部4/4拍子)ですが、英米版の楽譜は全編を通して4/4拍子で音符の長さに相違があります。英米では救世軍以外の代表的な讃美歌集には含まれていません。

曲名“On the cross of Calvary”でサイト検索しますと十万の単位でサイトがあります。キリストが十字架にかけられた場所であるからです。「カルバリ」“Calvary”は英語名で、聖書では”ゴルゴダ“となっています。イエスの時代にユダ王国を含む周辺地域(現在のシリア、パレステイナなど)ではアラム語が日常用語として一般に使われておりました。ゴルゴダ”はアラム語で“gulgolta?”「髑髏」「されこうべ」を意味し、ギリシャ語で“Golgotha ローマ語綴り”、ラテン語で“Calvaria”と言うそうです。英語の“Calvary”はラテン語に由来したものと思われます。聖書はギリシャ語で書かれましたのでゴルゴダと訳されています。英語訳でも”calvary”ではなく,”Golgotha”となっています。このことを記述しているヨハネによる福音書1917節で日本語訳は「・・・・即ちヘブライ語でゴルゴダという所へ・・・・」となっていますが、英語では「・・・・which in Aramaic is called Golgotha・・・・」となっておりヘブライ語もアラム語も同じと言うことになります。

326年、ローマのコンスタンテイヌス皇帝によってこの地に「聖墳墓教会」が建てられ、現在、カトリック教、ギリシャ正教、アルメニア教会、コプト教会等それぞれ一角を持って礼拝を行っているとテレビで見たことがあります。

 

背景のmidiは新たに作成しました。

 

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