讃美歌171 「なおしばしの」

 

 神の愛を主題としたスコットランドの著名な聖職者、讃美歌作詞者Horatius Bonar1808-1889)の歌である。原作者Horatius Bonar1808-1889)は当時の文学の影響や宗教詩の感化を受けず,全く独自の道をゆき,イギリスの5大讃美歌作者の一人と言われ,詩篇歌のみを用いていたスコットランド地方に創作讃美歌を普及するのにあずかって力があった。

■スコットランドではイングランドよりも早く宗教改革が実現され1567年、国教会(the Church of Scotland)となったが、教会と教会員の自由、自主性を前提とした長老と教職者による教会の運営を基本とするいわゆる長老派(Presbyterianism)が主体であった。しかし、国教会であったがゆえに、国や地域の有力者たちとの対立がしばしば起こり1843年には400名以上の聖職者が国教会を離脱し、新たに自由教会(Free Church)を結成する事件が起こった。Horatius Bonarは、自ら率先したわけではないが、これらの運動に理解を示して離脱した一人で、後に自由教会の総会議長に選出されている。(彼の弟達や友人がこの運動を積極的に推進した。)“個々の教会がその教会の牧師を選ぶ権利”を守ることがこの運動の一つの大きな理由であった。Bonarは、ちょうどこの時期に結婚したが、5人の子供を次々と失う悲しみを経験した。しかし、生き残った娘の一人が未亡人となり5人の子供(Bonarにとっては孫)と連れてBonar夫妻の許に帰ってきたとき「神はかって5人の子供を召されたが、今、神は新たに5人の子供を神のお役にたつべく育てるようこの年寄りに授けてくださった。」と友人に書き送っている。その後、Free Churchの大多数の教会は、国教会を離脱したその他のグループと統合(United Free Church of Scotland)を経て、1929年、再びスコットランド教会と統合したが、一部は現在でもthe Free Church of Scotlandとして独立を維持している。

■この歌は1842年ごろ書かれ、作者の教会の新年の集会のために紙片に印刷されたのが最初で、公には彼のSongs for the Wilderness、1844に発表された。当初は新年のために作られた歌であるが、作者一流の哀感が流れているため、蔡倫や葬式の歌として用いられるのが普通である。

■作曲のGeorge William Martin(1828-1881)は、聖歌隊で音楽教育を受け、各地の音楽学校で教鞭をとり、また、指揮者、編曲者としても活躍した。この曲は1862年発表され、1874年,その当時の英国を代表する音楽家Arthur Seymour Sullivan(1842-1900)によって編曲されたものである。

 

 

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