2月3日   特別伝道礼拝

「心の病と信仰」   東洋英和女学院大学教授  平山正実先生

平山先生の講話はご自身の体験を引用された大変わかりやすいお話であり、熱のこもったお話は1時間に及びました。引き続き軽食をはさんでの質疑応答があり,又,その後は個別の相談に応じられました。

大変有意義な一時であったと平山先生に心から感謝申し上げます。

講話の概要は次の通りです。

聖書:ヨハネによる福音書9章1-4節

1さて,イエスは通りすがりに、生まれつき目のみえない人を見かけられた。
2弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ,この人が生まれつき目が見えないのはだれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも,両親ですか。」

3イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも,両親が罪を犯したからでもない。神のみ業がこの人に現れるためである。」
4わたしたちは,わたしをお遣わしになった方の業を,まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。

 「心の病は信仰を持てば治るのでは?」という質問をよく受けるし、キリスト教内部にもそのような考え方が伝統的に存在するもの事実である。しかし、このような考え方は、心の病もホルモン等の異常など深い意味で身体と結び付いており、癌や高血圧といった病気と違いの無ことや、医学的には心の病が治っていなくても立派な信仰をもつ人々が居ることからも間違っていることがわかる。 ただ、心の病に罹った本人や家族には、病気による身体的苦しみ・生活に対する苦しみ・社会的偏見からの苦しみ・自責による苦しみといった不条理な苦しみに襲われる。 これらの不条理な苦しみは、イエス・キリストが十字架上で味わった苦しみと重なり合う部分があり、イエス・キリストであればこれらの苦しみをわかってくださる。そして、イエス・

キリストが復活されたように再生されることにより今迄マイナスしかなかった障害への見方にプラスの部分が加わる。また、聖書にも示されるように、この信仰による再生は周囲の人々によるものでも可能である。 聖書の物語に自らの生き方を重ね合わせて新しい出発をすることが、心の病に対処する最善の方法である。

BGMは、Bach作品578番「小フーガ」,Bach常連曲の一つです。

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