コリントの信徒への手紙Ⅱ2章14-17節
東方敬信牧師
土師記7章1-8節
1 エルバアル、つまりギデオンと彼の率いるすべての民は朝早く起き、エン・ハロドのほとりに陣を敷いた。ミデイアンの陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにあった。
2 主はギデオンに言われた。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミデイアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルは私に向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。
3 それゆえ今、民にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ、と。」こうして民の中から二万二千人が帰り、一万人が残った。
4 主はギデオンに言われた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこで、あなたのために彼らをえり分けることにする。あなたと共に行くべきだとわたしが告げる者はあなたと共に行き、あなたと共に行くべきではないと告げるものは行かせてはならない。」
5 彼は民を連れて水辺に下った。主はギデオンに言われた。「犬のように舌で水をなめる者、即ち膝をついてかがんで水を飲む者はすべて別にしなさい。」
6 水を手にすくってすすった者の数は三百人であった。他の民は皆膝をついてかがんで水を飲んだ。
7 主はギデオンに言われた。「手から水をすすった三百人をもって、わたしはあなたたちを救い、ミデイアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分のところに帰しなさい。」
コリントの信徒への手紙Ⅱ 2章14-17節
14 神に感謝します。神は,わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。
15 救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に捧げられる良い香りです。
16 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。このような務めに誰がふさわしいでしょうか。
17 わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。
私達人間の心は不安定で、時に暗くなったり落胆したりする。しかし、心の奥底で神様の招きの言葉に耳を傾けることができた時に、私達は立ち上がり新しい歩みを始めることができる。
本日の聖書の箇所は、ギデオンの選抜試験というべきものである。この選抜試験の方法により、神様は人間の心の中にある「傲慢」「臆病」「不注意」を鋭く指摘している。私達は、神様の恵みを感謝しつつ、永遠の命を信じ、祈りをもって聖書を読むことを日々心がけるべきである。
ただ、この選抜試験には一つの疑問が残る。「果たして置いていかれた人々はどうしたのだろうか?」私達も「傲慢」「臆病」「不注意」に陥ってしまうことがある。しかし、置いていかれた人々もギデオンの勝利のとき、再び集まり凱旋に参加することができたのである。
主イエスの戦いも同様で、主イエスが重荷を負って十字架につき、人間の根本的な罪を贖っている間、人間は何もできなかった。、しかし、神様はイエス・キリストの勝利に後から参加するよう招いてくださっている。死に打ち勝ち永遠の命を得たイエス・キリストを見つめ、神様の恵みにより生かされていることを認識しつつ、自らの生活の中でキリストの香りを放つのがキリスト者である。
イエス・キリストは今も生きて私達と共にいてくださることを確信して、立ち上がっていきたい。