12月30日 「本当の満足」 ルカによる福音書 2章22
-35節
「神殿で献げられる」
22 さて,モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき,両親はその子を主に献げるため,エルサレムに連れて行った。
23それは主の律法に,「初めて生れる男子は皆,主のために聖別される」と書いてあるからである。
24 また,主の律法に言われているとおりに,山場と一つがいか,家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく,イスラエルの慰められるのを待ち望み,聖霊が彼にとどまっていた。
26 そして,主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない,とのお告げを聖霊から受けていた。
27 シメオンが”霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき,両親は,幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして,イエスを連れて来た。
28 シメオンは幼子を腕に抱き,神をたたえて言った。
29 「主よ,今こそあなたは,お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。
30 私はこの目であなたの救いを見たからです。
31 これは万民のために整えてくださった救いで,
32 異邦人を照らす啓示の光り,あなたの民イスラエルの誉れです。」
33 父と母は,幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
34 シメオンは彼らを祝福し,母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は,イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ,また,反対を受けるしるしとして定められています。
35 --あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。--多くの人の心にある思いがあらわにされるためで00す。」
2001年の終わりの礼拝を時の移り変わりの中でまもっている。クリスマスの時の中に永遠の救い主が遣わされ,私達の過ごす時の中にその恵みを経験することがクリスマスの示す深い内容です。今日の聖書の個所から私達が与えられた時の中に満足して生きる意味をシメオンの言葉を通じて学ぶ。
シメオンは信仰の姿勢をまっすぐにして神の救いの来るのを待っていた。その目標は慰められるのを待ち望んでいることです。私達も生活,日常に問題がある中でそれに負けないで神との出会いによって立ちあがることができることが神の慰めです。神が近づいて下さることは慰めであり,永遠のみ子イエス・キリストが永遠の時間の中に入ってこられたことは大きな慰めです。私達がイエス・キリストに見いだされることをルカ福音書では放蕩息子の譬えを通じて示している。
幼子イエスを抱くシメオンは,永遠なるものを抱きかかえていた。シメオンの賛歌はそのことを歌っている。神の計画の中で人生を生きる,このことが本当の満足を生きる信仰の生活です。
BGMはBachのカンタータ78番「イエスよ,わが魂よ」 です。