12月1日  「自然環境と人間」  創世記210-15節      東方敬信牧師

  創世記210-15

10 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。

11 第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。

12 その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。

13 第二の川の名はギボンで、クシュ地方全域を巡っていた。

14 第三の川の名はチグリスデ、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。

15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

 

マタイによる福音書627-34

 

27 あなたがたのうちだれが、思いなやんだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紬もしない。

29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者達よ。

31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなた方に必要なことをご存知である。

33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えられて与えられる。

34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

 

 「アドベント」は、キリストの生誕を祝う時と同時に終末の時を待つということでもある。終末の時、私達は神様に対して流行の言葉でいえば、Accountability(説明責任)を負っている。つまり、神様の前に立って今迄どのように生きてきたかを説明しなければならない。そして、創世記で神様からの賜物であると示された自然環境をどのように守ったかの説明もしなければならない。 

私達の日本には、全ての自然物に神が宿ると考える万物信仰が存在する。しかし経済成長の優等生としての日本が水俣病を始めとした環境破壊をしてきたことを考えると、日本人の自然観は、感覚に止まり責任まで至っていないことがわかる。 これに対し聖書の自然観は、自然を神様からの賜物と捉えて「守り仕える」という考え方をする。主イエスは「野の花」の譬えを用いて、自然も神様の被造物であり、人間が好き勝手に自然を支配するのではなく、神様が愛され守られている自然に仕える姿勢が必要であることを示されている。 

主イエスが私達の罪を背負い十字架に懸かられて根本的な解決をされた愛に感謝しつつ、私達は日常生活の中で、隣人を愛するように私達を生かしてくれる土・水・空気といった自然環境を配慮して守っていくことが必要である。

 

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