英国におけるキリスト教の布教と古英語の変遷

二つの系統のキリスト教

ブリテン島のキリスト教は二つの系統があった。ローマ・カトリック教会と,ケルト系つまりアイルランド・スコットランド系のキリスト教である。

ローマ・カトリック教会の系統は,597年ローマ教皇グレゴリウス一世が、ベネデイクト会の修道士アウグステイヌスを現在のカンタベリーの地に派遣したことから始まる。ケルト系のキリスト教は,それ以前から始まっていたゲルマン系民族の侵入をうけてのがれた北西部(アイルランド・スコットランド)中心に広まっていった。

アイルランドのケルト人の教会はアイオナ島を中心として広まり、聖パトリック(アイルランドの守護聖人 398?~461年)や聖コルンバ(アイルランドのキリスト教をスコットランドに布教)といった優れた修道士が現れた。リンデスファーン(エチデインバラより少し南方の北海岸沿いにある リンデスファーン聖書の由来)の修道院建設も彼らによる。

この二つのキリスト教が出会ったのが北海に面したほぼ中央に位置するウイットビーであり,664年「ウイットビー教会会議」が開かれ南回りのキリスト教(ローマ・カトリック教会)が正式なものとされた。

アングロサクソン王国の統一と英語

5世紀後半より英国(ブリトン島)に侵入,定着を始めたゲルマン系民族(アングロ・サクソン族)は、6世紀後半頃には北から南にかけて7王国を構成していた。

8世紀末頃より北部の方からヴァイキング(デーン人)の侵入が始まり、北部にある王国が衰退し南部が優勢となり9世紀前半(829年)ウェセックス(西サセックス)王国によって統一された。

言葉も北方の方言から次第に南方の方言の影響力が強まり,統一後はウェセックス方言が標準的英語となった(西サセックス聖書)。尚、

英語の始まりは,上記ゲルマン系民族(アングロ・サクソン族)が移住してきた5世紀半ばからであるが、1066年のノルマンコンケスト以降フランス語の影響を強く受けるようになるまでの間,即ち西暦450年頃から1150年頃までを「古英語 OE:Old English」の時代と称し当時のゲルマン語をベースとしている。

BMGは、BACHのフーガ2番 作品847

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