8月26日 「涙の数も」 マタイによる福音書 20章1節-16節
富士見丘教会協力神学生:東京神学大学修士課程 米田芳生
「ぶどう園の労働者」のたとえ
1「天国は次のようにたとえられる。ある家の主人が,ぶどう園で働く労働者を雇うために,夜明けに出かけて行った。
2主人は,一日につき一デナリオンの約束で,労働者をぶどう園に送った。
3また,九時ごろ行ってみると,何もしないで広場に立っている人がいたので、
4『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
5それで,その人たちは出かけて行った。主人は,十二時ごろと三時ごろにまた出かけて行き,同じようにした。
6五時ごろにも行ってみると,他の人々が立っていたので,『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
7彼らは,『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに,『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。
8夕方になって,ぶどう園の主人は監督に,『労働者たちを呼んで,最後に来た者から始めて,最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
9そこで,五時ごろに雇われた人たちが来て,一デナリオンずつ受け取った。
10最初に雇われた人たちが来て,もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし,彼らも一デナリオンずつであった。
11それで,受け取ると,主人に不平を言った。
12『最後に来たこの連中は,一時間しか働きませんでした。まる一日,暑い中を辛抱して働いたわたしたちと,この連中とを同じ扱いにするとは。』
13主人はその一人に答えた。『友よ,あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
14自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも,あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
15自分のものを自分のしたいようにしては,いけないか。それとも,わたしの気前のよさをねたむのか。』
16このように,後にいる者が先になり,先にいる者が後になる。」
天国の約束は、私共の生きる源、すべての人々に勇気を与える希望の光である。
天国のぶどう園に雇われたものは、その糧を得られる。主人は、朝早くから夕方までに五回も町に出て、人々を雇った。夕方になって、労働者への賃金を支払うに当り、最後に来たものから順に、最初に来たものは一番あとになって、みな同額の、一デナリオンが支払われた。
これは、私共にとって、理解に苦しむところであるが、実はここに、主人なる神の、大いなるメッセージが伺われるのである。
神の恵みはすべて公平、神の愛は最後に雇われたものへの、長い不安と悲しみの涙にも心をとめられる。
命の糧を求める私共一人一人の祈りと願いをも受けとめてくださる。
私共は、この限りなく深い主の愛の約束を信じ、希望をもって、新しい日々を歩みたい。
BGMはBACH コラール前奏曲<目覚めよとわれらに呼ばわる物見らの声>作品645です。