8月24日  「神の祝福を確信する」 マルコによる福音書112025

「枯れたいちじくの木の教訓」

 

20 翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。

21 そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われいちじくの木が、枯れています。」

22 そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。

23 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。

24 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。

25 また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば,赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」

今朝の聖書の箇所で、主イエス・キリストはまず神を信ぜよと弟子たちに教えている。弟子達がいちじくの木が根本から枯れているのを見たときである。主イエスは、枯れたいちじくの木という目に見える形で、神を信じる信仰に立つことによって豊かな実を結ぶ神の国が実現することを弟子たちに教えられた。そして、ひとたび神を信じることによりすべてが変えられ山のように動かなかったものも主によって動きかえられると教えられた。

私たち人間はイエスの弟子たちと同じように弱い心、目に見えることしかなかなか信じようとしない。信仰は日々の営みであり、神から与えられたもの、真から神に向き合うことである。こうしたしっかりとした信仰の土台が無ければ、見た目には葉が豊かに茂って見えていてもやがて枯れてしまう。しかし、しっかりとした信仰の基礎に立つとき、主は、あなたの祈り求めたものはすべて既に得られたと言われる。疑う心を持って歩む時、それは神の信仰ではない。

私たちに与えられたただ一つのこと、神を信じる、そこに拠り頼む時、自然と神の祝福を確信する姿が生まれ、証し人としての歩みがなされる。

今朝もう一度、神を信じるという私たちに与えられた神の恵みに感謝し、祝福を確信し歩みを進めたい。

ホームページに戻る   み言葉に聞くに戻る