819  「乙女の祈り」   マタイによる福音書251-13

「十人のおとめ」のたとえ

1「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。

2そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

3愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。

4賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壷に油を入れて持っていた。

5とこらが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。

6真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。

7そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。

8愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』

9賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』

10愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚礼の席に入り、戸が閉められた。

11その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。

12しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。

13だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

イエスの時代の結婚式では、深夜におとめがともし火を持って花婿を迎えに行った。花嫁を連れて花婿が現れるのを皆、待ち望む。闇の中、緊張と期待をもって神から与えられる新しい恵みを私達が待ち望む信仰の姿のように…。

本質を見抜く力のあった賢い五人のおとめは、油を壷に用意していた。この油は信仰。私達はイエス・キリストを今、ここで受け入れて目覚めて生きているか、信仰の姿勢を問い正そう。

予期に反して花婿は遅れてきた。油は用意されていただろうか。空白の時に私達は祈りの生活をもてるだろうか。上からあなによってとらえられた者として神を仰ぎ望む勇気をしっかりもとう。

信仰の油は、人に借りることはできない。愚かな五人のおとめ達が、油を分けてもらえなかったように・…。

賢い五人のおとめ達のよろこびの婚宴。御子が現れる時、御子に似たものになる変えられる喜びの日を見つめて目覚めて生きたい。



BGMは、プレリュード(作者不明)です。


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