灰の水曜日(Ash Wednesday)
受難節(レント)は復活祭の日曜日を含めて46日前(日曜日を除くと40日)から始まります。と言う事は必ず水曜日になるので灰の水曜日と呼ばれます。(正式には灰の日)
(1)なぜ灰の日と呼ぶのか?それは,この日にキリスト教徒が教会で額に灰で十字架の印をつけた儀式からきております。初期キリスト教時代,信徒は粗末な衣服をまとい,ちりと灰の上に座り,それを頭にふりかけながら,断食を行ったとあります。その後灰の上に座る代りに額に灰をつける習慣に変わりました。
(2)額の印や灰については,聖書のなかに色々と言及されております。その意味するところを理解する為に幾つかの個所を引用します。
(3)額の刻印
ヨハネの黙示録では「額に刻印を押されている者の救済」について述べられており
ます。
即ち額の印は,キリストの僕であることを示しております。
ロマ書6章ではパウロは「義の奴隷」となると表現しております。
(4)なぜ灰で刻印されるのか?については,聖書では灰は悲しみや悔い改めの印として用いられておりました。又、灰は死を意味します。即ち,人間は結局は死ぬものである事を思い出させます。
司祭が信者の額に灰で印をつける時に創世記の3章19節を引用します。
創世記3章19節:お前は額に汗を流してパンを得る,土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る。
埋葬の時に用いられるAshes to ashes; Dust to dustはここからきております。
他にも塵について幾つか聖書から引用します。
ヨブ記34章15節: 生きとし生けるものは直ちに息絶え
人間も塵に返るだろう。
詩篇90篇3節: あなたは人を塵に返し「人の子よ帰れ」と
仰せになります。
コヘレトの言葉3章20節: すべてはひとつのところに行く。
すべては塵から成った.すべては塵に返る。
こうしてキリストの死を悲しみ人間の罪を悔い改めつつ受難節を守ります。