4月15日 「イースターの喜び」 ルカによる福音書4章1節-12節
そして、週の初めの日の明け方早く,準備しておいた香料を持て墓に行った。
見ると,石が墓のわきに転がしてあり、
中に入っても,主イエスの遺体が見当たらなかった。
そのため途方にくれていると,輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。
婦人たちが恐れて地に顔を伏せると,二人は言った。
「何故,生きておられる方を死者の中に捜すのか。
あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。
まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。
人の子は必ず,罪人の手に渡され,十字架につけられ,
三日目に復活することになっている,と言われたではないか。」
そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。
そして,墓から帰って,十一人と他の人皆に一部始終を知らせた。
それは,マグダラのマリヤ、ヨハナ,ヤコブの母マリヤ,
そ人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
使して一緒にいた他の婦人たちであった。
婦徒たちは,この話しがたわ言のように思われたので、信じなかった。
しかし,ペテロは立ち上がって墓へ走り,身をかがめて中をのぞくと,
亜麻布しかなかったので,この出来事に驚きながら家に帰った。
「なぜ生きておられる方を死者の中に探すのか」
とイエスの遺体の見当たらない墓の前で途方に暮れる婦人達に,
天使は問うた。
命の源である神にその総てを注ぎ込まれてイエスキリストは,
十字架から勝利されて蘇られたのが分らないのかと…・・。
パウロも
「死者にいのちを与え存在していない者を呼び出して存在させる神」
「あなた方が本当に復活を信じて神の子として生きるならば
被造物全体が新しくされる」と語る。
イエスキリストの蘇りをきっかけに,
この婦人達やエマオの途上で語り合った弟子達にとって
イエスの過去の言葉は今,いのちある真実の言葉として迫り、
心燃えたのである。
蘇られたイエスに付き従い,
主イエスの言葉を受け止めつつ信仰の道を進もう。