4月1日  「狭き門」   マタイによる福音書  7章13節-20節

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、
その道も広々として,そこから入る者が多い。
しかし,命に通じる門はなんと狭く,その道も細いことか。
それを見いだす者は少ない。」

「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとって
あなたがたのところに来るが,その内側は貪欲な狼である。
あなたがたは,その実で彼らを見分ける。
茨からぶどうが,あざみからいちじくが採れるだろうか。
すべて良い木は良い実を結び,悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実を結ぶことはなく,
又,悪い木が良い実を結ぶこともできない。
良い実を結ばない木はみな,切り倒されて火に投げ込まれる。
このように,あなたがたはその実で彼らを見分ける。」

私達が本を読むときに『しおり』を使うが,これを漢字で書くと
「枝折』と書くことがあり,山歩きの時に自分の歩んだ道がわかるよう
小さな枝を折ってしるしをつけたりすることからきている。
私達の人生も決断をした時のことを思う「人生の枝折』が大切であり、
毎日のかけがえのない選択に「枝折』をつけてゆく必要がある。

その毎日の選択の際に,イエスは「狭い門から入りなさい。」
と教えておられるが,本当に充実した人生は
狭い門から入るところにあるのである。
ただ「狭い門」とは,禁欲的な堅苦しい生活を送らねばならい
というのは誤解であり、「私は羊の門である。」といわれた
主イエスの門から入ると,豊な牧草により養われ、
一人一人の人格が認められることにより、自由の身になるのである.。
主イエスの「狭い門」に入ることにより,私達の重荷は降ろされ,
生き生きとした命が与えられる。

受難節の今,古代教会のように主イエスの十字架を
勝利の力として見上げて,人生の歩みの中で決断が必要な時に、
主イエスの「狭い門』を選び,そのことを「しおり」としておくことが大切である。

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